明治・大正・昭和「水彩画コレクション展」後記







































 
長い間、やりますやりますと言いながら機を逸してきた展覧会である。自分のコレクションだけで我国水彩画史を回顧できたらと希(ねが)って、他人(ひと)知れずこつこつと蒐めてきたものが、いつのまにか百数十点にもなった。ご覧のように主要な水彩画家が抜けていたり、員数会わせの作品も何点かある。しかし借り物で揃えるのは主義でないから、まあまあだなと自分では思っている。

 私の蒐集は無理をしないことで、自然の流れで手許に寄ってきたものをひとつひとつ大切に貯めこむことから始まる。そしてひとりの作家について数十点とか、あるグループについて何十点ということになれば、それでは展覧会を、ということになる。三宅克己と河合新蔵、そして無名の中川吉郎については小規模ながら展覧会も開催してきた。けれども主要な作家全部について個別の展観をするというのは、とてもできない相談である。そこで京都にある画廊としては当然のことながら、浅井忠の流れを汲む関西美術院の作家を中心とした水彩作品の蒐集に精力を注ぐことになった。これは相当数が集まってきたが、まだ長谷川良雄、牧野克次、足立源一郎らの作品には遭遇していない。所蔵家も判っているから、その気になれば何とかなるのだがどうも足が向かない。縁があればそのうちに作品の方が寄ってくるだろうと思っている。

 この図録の準備の為に倉庫や押入れの奥からたくさんの水彩画を引っ張り出して、家中に散らかして家内にもあきれられてしまった。よくまあこんなに貯めこんだこと、というのだ。まるで鴉みたいだなあと自分でも思ったくらいだから、他人(ひと)様にはどう映(うつ)るのだろうか。ピカピカと光るものを自分の巣に貯めこむだけの鴉との違いは、この貧欲な画廊主がそれを他人様に見せびらかして自慢するという、さらに悪い習性をもつことである。今回もまた思い入れの深い作品については、お客様と売れ売らぬのやりとりをせねばならないことは本当に申し訳ないと思う。そう思いながらも自分の我欲には勝てそうもない。作品に執着をもちすぎるこの修行不足の画廊主を許して頂きたい。

星野桂三・星野万美子








































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