創業20年「日本近代絵画の青春〜大正の絵画〜」後記

































































 あっという間に過ぎた20年であった。かといって何もかもが順風であったかというと決してそうではない。波乱万丈というほどでもないが、色々あった。この間。いわゆる絵画・美術ブームと世間で言われるものを2度経験している。しかし、そのいずれもが私たちに無縁のものであったのは、ちょっと残念なようでもあり、また無縁であってほっとするようなところでもある。商いに徹することでボロ儲けができたかも知れないが、画商としては流行に縁がないアウトサイダーであった。だからこそ普段見過ごされがちな売れない画家や不遇な画家が気になって仕方がないのかも知れない。

 20周年記念展として大正期の絵画を取りあげるが、これを大正絵画の見直しブームとも言われる世間の風潮に乗ったものと据えて欲しくない。日本の近代美術の曙はもっと早い時期に訪れている。以後、明治・大正・昭和の3世代にわたり、美術家たちは時代を超えて作品を遺しているのである。明治の黎明期には黎明期の、大正には大正の、そして昭和には昭和の名作があり、それぞれが教科書的に代表作として知られている。しかし私たちは過去の画商活動の経験から、名作とはたまたまよく知られているだけのものが多いことを知った。そして多くの名作の陰には、数知れぬ無名画家たちによる力作が埋もれていることをも実見してきている。そしてそれらが群れをなして時空を超えて眼前に迫るとき、知られた名作も霞んでしまうことがあるということは、5年前(1986年)の京都国立近代美術館新館開館記念展の「京都の日本画1910-1930」が世に与えた衝撃の大きさに顕著に表れている。けれどもその後の大正絵画見直しブームの中で暴騰した甲斐荘楠音や秦テルヲはともかく、大正期であればとか、国画創作協会なら何でもよいといったイージーな作品選別には少々うんざりしているのも事実だ。思えば私たちの画廊で開催(1982年)した「国画創作協会から新樹社へ」という展覧会が、文字通り閑古鳥が鳴いている有様であったのだから、まさに隔世の感がある。

 実を言えば、20周年記念展には他の企画を用意していた。ただ残念なことに思い通りの作品が手許に蒐められなかった。これが自前の作品で勝負しなければならない画廊の限界である。それはまた何年か後に世に発表することにして、今回は所蔵する作品の中から、ひとつの塊として見てもらえる大正期の絵画を展観させて頂くことにしたのである。本図録をご覧頂くとお判りのように、全く無名の画家に心を打つ作品が多い。先に作者の裏に無名の名作ありと述べたが、美術界に限らず多くの分野で人々が全く自由な精神で時代を謳歌した大正期には、何故か、たまたま無名のままに終わった画家たちによる隠れた名作が輩出している。つまり、大正とは、まさに無名画家たちの時代とも言うことが出来るのである。

 私たちの「画人再発見」という仕事は短期間に決着するようなものではない。この20周年記念展もただひとつの区切りとしての意味も持たない。画家たちが命を削って遺した作品ならば、私たちも一生ど真剣にこの仕事を続けるしかない。無名の画家とその作品が再評価を受け、次第に世に持て囃されるのを見るのは画商の本懐でもあろうが、少し淋しい気もする。それは冬の間せっせと餌づけをしたうぐいすやめじろたちがこの頃ちっとも姿を見せないのに似ている。

 最後になるが、私たちの地味な仕事を理解して頂き応援して下さるお客様や美術関係者の皆様、そして、星野さんなら、と珍しい作品を快くお頒け下さる所蔵家や同業者の方々、見るに堪えないような保存状態の悪い作品を、今日見られるように再生して下さる有能な修復家や表具商の方々に、そして何より素晴らしい作品を遺された画人たちに心からの謝意を表すものである。

1991年10月 星野桂三・星野万美子

































































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