「鳥毛将宏−詩人は森へ−」後記













































 またもや変貌してしまった鳥毛将宏である。1990年の1年間を「月の詩」シリーズによる。半ば狂乱ともいえる程の作画姿勢によって乗りきった、あの憑かれた鳥毛将宏はもういない。1年に70点を超える、しかも40〜120号の大作が20点もあるという凄まじさであった。長期間揮発性の溶剤を多用する画家の宿命からか、度々眩暈(めまい)に襲われ電車にさえ酔う有様であった彼自身は、この年私達の画廊にその姿を現すことなく過ごした。年末の個展も終わり、ようやく体調を取り戻した彼が新作と共に私達の眼前に戻ってきた時、1991年の年が明けていた。

 湧き出る創作意欲を生でぶつけるために多用した速乾性の樹脂系絵具はもはや使用せず、嬉しいことには持参した新作には油絵具による鳥毛独特のしっとりとした絵肌が復活しつつあった。突っ走った過去1年の反省から、古典への回帰を図る鳥毛の画技研鑽の跡は「暗闇(美のミューズに捧ぐ)」に顕著である。また技法的な古典回帰と同時に、思索を深めて情感を醸し出す画家の新姿勢が最初に結実したのが、「詩人は森へ」の大作であったといえる。私達はそれを本展のメインテーマにした。

 精霊たちが棲み家とする森の奥深く、詩人でもある画家は躰を委ねる。実際にあることなのか起こったことなのか、はたまたあやかしであるのか。躰と魂を森の奥底に置くことにより、この詩人画家は真摯(しんし)に自己を見つめ直す機会を得ているようである。思索と冥想に耽(ふけ)る画家の運命(さだめ)を象徴する黒い牛を傍らに侍らせ自身の姿は、好男子にも、美少女にも、ときには老人にも変貌する。画題に度々登場する「睡眠」という言葉も、疲れ果てた躰を安らげるための文字通りのものとして理解してはならないようだ。鳥毛にとっての「睡眠」とは、思索により到達することが出来る、夢とも幻ともつかない独自の境地、画作の源泉ともなるもので、それが森の精霊たちに導かれた絵筆により今私達に顕示されていると思えるのである。

 作秋、私達が画廊の創業20周年記念展に全力を尽くした結果、年末恒例の鳥毛将宏展が1月にずれ込んでしまった。この間、何人もの見知らぬ若者たちから鳥毛将宏展の開催日を確かめる電話が掛かった。いつのまにか彼が若い画家の卵たちの希望の星になりつつあるのかも知れない。5冊目の展覧会図録を送り出すにあたり、この詩人画家が彼等の、また多くのコレクターたちの期待に背かない成長を遂げている、と私達は思うのである。

星野桂三・星野万美子













































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