「水彩画の黄金時代−6人の名手たち−」展 後記


























 このところ少々疲れている。もううんざりといった具合でもある。なにかといって展覧会の氾濫、催し物の洪水、それもこれも平安建都1200年記念事業という怪物のなせる業である。794年に平安京に遷都されて以来1200年の節目にあたる、それは事実つでもあり目出度いことでもある。どこか落ち目とも言われる京都を活性化するという御旗の下、上も下も、右も左も、誰もがどこかで何かやっている。この時期としては異例ともいえる数の大型観光バスが市内を走り回っているから、観光客誘致の目的は十分に果たしている。京都は観光で生なければならないと私たちは思っているから、これは有り難い現象ではある。問題は建都1200年の名の下、数多くの立派な催しが同時進行することである。どんなに美味しいご馳走も続くと食傷気味となり、今日はお茶漬けでも欲しいなあとなるの例え、もいい加減にしてほしい、そんなに毎日出歩いてはいられません。そうも言いたくなる。まことに贅沢な話でもあるが、本当はもったいないと思うのである。そして来年以降のことを今から心配してしまう、京都は建都1200年の抜け殻になっているのではないかと。

 そうは言いながら私たちも展覧会を開かねばならないという大きな矛盾を抱えている。だからせめてお茶漬けの軽い味をと、盛夏の京に清涼感溢れる水彩画を並べることにした。ここで最近の水彩画関連の展覧会や出版をまとめてみよう。
















































「明治・大正・昭和の歩み−水彩画の再発見」展 1980年 千葉県立美術館
『近代の美術・日本の水彩画』1980年 至文堂
『創刊900号記念特集・大下藤次郎』 1980年 みづゑ
『日本水彩画名作全集』 1980年 第一法規
「水彩画の父・大下藤次郎」 1985年 青梅市立美術館
「水と光との出会い−近代日本水彩画の展開」展 1987年 福島県立美術館
「浅井忠の水彩画とその周辺」展 1988年 京都市美術館
「浅井忠展−高野コレクション特別出品」展 1988年 名古屋市美術館
「水彩画・小堀進展」展 1988年 日動画廊
「小堀進と昭和の水彩画家」展 1989年 茨城県近代美術館
「水彩画の巨匠・中西利雄展」 1989年 伊丹市立美術館
『日本の水彩画』 1989年 第一法規
「浅井忠展」展 1990年 浜松市美術館広島県立美術館
「みづゑのあけぼの−三宅克己を中心として」展1991年徳島県立近代美術館
「明治期の水彩画−水絵の魅力」展 1991年 練馬区立美術館
「静岡の美術・栗原忠二展」1991年 静岡県立美術館
「静岡の美術・石川欽一郎展」1992年 静岡県立美術館
「イメージの原風景−日本水彩画展」1993年 福島県立美術館
「日本近代水彩画と水野以文」展 1993年 浜松市美術館・河口湖美術館
















































 このほかにも大下藤次郎と中西利雄の展覧会が数ヵ所で開催されているはずである。私たちの画廊では、「水彩画の名手・河合新蔵展」(1985年)、「水彩画の巨匠・三宅克己水彩小品展」(1986年)、「明治・大正・昭和、水彩画コレクション展」(1989年)、と開催してきたけれども、作品の退色を懸念するから、画廊の展示に水彩画はあまり登場しない。京近美の常設展示に京都の水彩画が何の予告もなしにずらーっと並ぶことがあるが、これも極く短期間で運の良い人だけが眼福を得ることができる代物である。

 前回の「水彩画コレクション展」ではただ手持ちの水彩画を並べたものであったが、今回は少しテーマを絞っている。私たちは水彩画と言えば透明水彩を思い、鉛筆・淡彩のものを水彩画ということや洋画家のドローイングまでも水彩画でございということには少し抵抗がある。最近の水彩画でゴテゴテとマチエールをいじくりまわしたものや、油絵でやるものをただ単に材料としての水彩画の具を使用しただけに過ぎないものを、私たちは受け付けることができない。水彩画には水彩画にしかない持ち味があるし、それお私たちは味わい評価したい。とりわけ明治の国木田独歩や田山花袋、蒲原有明、そして島崎藤村ら自然主義文学者やロマン主義文学者との交流により確固たる地位を築いた水彩画は、良い意味でのアマチュアリズムの導入により『水彩画の黄金時代』を謳歌することになる。やはりこの時期の水彩画には文句なしに惹かれる。



























































 1904年(明治37)年に三宅克己と鹿子木孟郎との間で交わされたいわゆる「水彩画論争」では、水彩専門画家として命を張ることになる三宅と、水彩画は洋画を学ぶ上での一技法、一ステップに過ぎないとする鹿子木との論争は、白馬会会員として黒田清輝らの外光派(新派)に属する三宅が雑誌「明星」を舞台に、そして太平洋画会など旧派に属する鹿子木が『美術新報』を舞台にそれぞれ意見を述べあったものである。このことは太平洋画会会員として旧派に属する大下藤次郎、丸山晩霞、河合新蔵らのグループの活動が必然的に日本水彩画会の結成へと流れて行くのに対して、同じ水彩をやりながら三宅克己がひとり離れていたような感じがするのを理解する助けになる。

 今回の展覧会で取り上げる6人の名手たち(石川欽一郎、大下藤次郎、河合新蔵、真野紀太郎、丸山晩霞、三宅克己)は、三宅を除いていずれも水彩画研究所や『みずゑ』を通して指導的立場にあった人達である。ひとり離れた恰好の三宅も後年日本水彩画会会員となる。この6人で透明水彩の全盛期を回顧してみようとする企画ではあるが。『水彩画の黄金時代』の時期の作品ばかりでないのはお許し頂きたい。とくに真野紀太郎についてはどういうことか明治期の作品に出会ったことがない。今回の企画以外に明治期の水彩については、ワーグマンやフォンタネージの影響下に描かれた作品、アルフレッド・イーストやジョン・バーレイらのイギリス人水彩画家の作品とその影響下の作品、また満谷国四郎、鹿子木猛郎、吉田博ら太平洋画界の洋画家による水彩、そして浅井忠の影響下にある京都の水彩などを個別に展観してみたい希望はある。この中で一番実現可能に近いものは「京都の水彩」であろうか。これについても少し準備期間がいるとは思うので楽しみにして頂ければ幸いである。

星野桂三・星野万美子


































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