「水彩画の黄金時代−6人の名手たち−」展 後記 |
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「明治・大正・昭和の歩み−水彩画の再発見」展 1980年 千葉県立美術館 『近代の美術・日本の水彩画』1980年 至文堂 『創刊900号記念特集・大下藤次郎』 1980年 みづゑ 『日本水彩画名作全集』 1980年 第一法規 「水彩画の父・大下藤次郎」 1985年 青梅市立美術館 「水と光との出会い−近代日本水彩画の展開」展 1987年 福島県立美術館 「浅井忠の水彩画とその周辺」展 1988年 京都市美術館 「浅井忠展−高野コレクション特別出品」展 1988年 名古屋市美術館 「水彩画・小堀進展」展 1988年 日動画廊 「小堀進と昭和の水彩画家」展 1989年 茨城県近代美術館 「水彩画の巨匠・中西利雄展」 1989年 伊丹市立美術館 『日本の水彩画』 1989年 第一法規 「浅井忠展」展 1990年 浜松市美術館広島県立美術館 「みづゑのあけぼの−三宅克己を中心として」展1991年徳島県立近代美術館 「明治期の水彩画−水絵の魅力」展 1991年 練馬区立美術館 「静岡の美術・栗原忠二展」1991年 静岡県立美術館 「静岡の美術・石川欽一郎展」1992年 静岡県立美術館 「イメージの原風景−日本水彩画展」1993年 福島県立美術館 「日本近代水彩画と水野以文」展 1993年 浜松市美術館・河口湖美術館 |
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1904年(明治37)年に三宅克己と鹿子木孟郎との間で交わされたいわゆる「水彩画論争」では、水彩専門画家として命を張ることになる三宅と、水彩画は洋画を学ぶ上での一技法、一ステップに過ぎないとする鹿子木との論争は、白馬会会員として黒田清輝らの外光派(新派)に属する三宅が雑誌「明星」を舞台に、そして太平洋画会など旧派に属する鹿子木が『美術新報』を舞台にそれぞれ意見を述べあったものである。このことは太平洋画会会員として旧派に属する大下藤次郎、丸山晩霞、河合新蔵らのグループの活動が必然的に日本水彩画会の結成へと流れて行くのに対して、同じ水彩をやりながら三宅克己がひとり離れていたような感じがするのを理解する助けになる。 今回の展覧会で取り上げる6人の名手たち(石川欽一郎、大下藤次郎、河合新蔵、真野紀太郎、丸山晩霞、三宅克己)は、三宅を除いていずれも水彩画研究所や『みずゑ』を通して指導的立場にあった人達である。ひとり離れた恰好の三宅も後年日本水彩画会会員となる。この6人で透明水彩の全盛期を回顧してみようとする企画ではあるが。『水彩画の黄金時代』の時期の作品ばかりでないのはお許し頂きたい。とくに真野紀太郎についてはどういうことか明治期の作品に出会ったことがない。今回の企画以外に明治期の水彩については、ワーグマンやフォンタネージの影響下に描かれた作品、アルフレッド・イーストやジョン・バーレイらのイギリス人水彩画家の作品とその影響下の作品、また満谷国四郎、鹿子木猛郎、吉田博ら太平洋画界の洋画家による水彩、そして浅井忠の影響下にある京都の水彩などを個別に展観してみたい希望はある。この中で一番実現可能に近いものは「京都の水彩」であろうか。これについても少し準備期間がいるとは思うので楽しみにして頂ければ幸いである。
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