−人間が人間を描く刻ドラマが始まる− |
「第1幕・明治の肖像、第2幕・自画像」展 後記 |
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ここに引用させて頂いたのは私たちの画廊に足繁く通っておられた、芦屋の天野茂氏よりの震災後の便りである。天野氏は私たちを励まして下さる有り難いお客様のひとりで、教育者として多くの若者を育て、老いてもなを青春の感動を持続しながら、但馬生まれの宿南昌吉(明治42年に28歳で昇天した医学者・文学者)を研究テーマに明治の青年に思いを馳せる本を執筆中であった。ここに明治の肖像と画家の自画像の2本立てで構成する展覧会を企画できるのも、画廊に来られる多くのこうした理解者や支持者の応援の賜物と感謝している。 私たちは常々、人間と人間との出会いの不思議さ、人間の作り出すものへの共感と反感、人間の賢さや愚かさ、などを出来るだけアウトサイダーとして眺めてきた。研究の存在としての自然を愛する私たちではあるが、人間がいてこその自然であるとの認識は持っている。だから人間とその所産は大きな興味を持って見守っている。家族の絆をいとも簡単に断ち切るオウムの人々の存在は、彼らが彼らの内部にのみ増殖している限りは阿呆な奴やなあと傍観していればよかったが、社会に及ぼす害毒の大きさには傍観者でいられるものは誰もいない。1995年も半分済んだところで私たちは今一度出発しようとしている。この世界を構成する全てを支配できるのか、人間たちよ。一歩間違えば危ういところにいるに違いない、人間たちよ、あなた達は一体何処へ行こうとしているのか。いつまでも傍観者ではいられない私たちは、自分なりに人間の素顔を探ればよいと、一見うっとおしい肖像画の数々を画廊に集めることにした。そうなのだ、明治の肖像画には平成の今日忘れ去られようとしている人間存在の確かさがある。そして画家が見つめる画家自身の像にも真摯な熱情が感じられる。私たちは、今日もう一度人間を見つめ直すことから出発する。
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