−人間が人間を描く刻ドラマが始まる− | ||
「エピローグ/母と子、そして子供たちへ」 |
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シリーズ展を企画したその春の段階で、宮城県美術館での企画展「家族の肖像−日本のファミリーレポート」(1995年8月開催)への作者未詳「家族団欒之図」の出品依頼が届き、展覧会の内容がもたらされた。同じようなことを考える学芸員がいるものだなと感心すると同時に少々の落胆を感じたものだった。つまり、私たちの展覧会と取組み方でダブるところが多かったからである。美術館の物真似をしたと思われることを嫌った私たちは、展覧会の構成を大幅に変更して長期のシリーズとした。もちろんそこには私たちの画廊の小ささという制約があったのは事実である。大きな美術館ならこのシリーズの出品作品で一つの展覧会が組めると思う。誰方が真剣に考えてくれないだろうか。作品の質という点では自信がある。ただ私たちが現在営業中の画商であることから、こうした希望は持てないことを充分知っている。でも誰かが何処かで必ず引き受けてくれるであろうと願う。 |
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折から日経アートの8月号(7月1日発行)から始まる連載のアートエッセイを頼まれた。最初は逡巡(しゅんじゅん)したのだが、結局引き受けることにした。先程のべたように我が国の出版界は東京一辺倒の様子がありありとしているから、関西方面からも少し発言する機会を確保しなければならないと思ったのである。歪んだ阪神ファンのようにジャイアンツを面罵(めんば)することに生きがいを見つけたり。東京の存在そのものに反感を持つようなことはしたくない。もちろん大金を払ってがむしゃらに有名選手を手に入れるジャイアンツの姿勢と、それに釣られて入団する選手たちを軽蔑しているのには反論しない。金権主義、斜陽日本の姿をそこに見るからである。バブル期の画商やコレクターの姿とダブるからである。この際、マイナーな画商として流通に乗って正面きって発言しょうと思う。これまで美術品の価格に拘(こでわ)り、情報のゆがみを指摘されて批判の的にされてきた日経アートは徐々にその軌道を修正しつつある。拙い文章で読者や編集者の期待を裏切ることになるかも知れないが、発掘された作品と作家たちを紹介しながら身の回りのことをぽやくことから初めてみよう。シリーズ名は「失われた風景」とお願いした。「失われた風景」はもともと私たちの画廊の企画展のためのネタで、ここ十数年密かにあたためてきたファイルの中から少しづつ取り出して紹介していこうと思う。私たちが巡り会った作品を通してその時代と現在を比較対照することもあるだろうし、文章通りの風景ではなくとも、失われた事柄や人物に対する思い入れの数々を吐露(とろ)することになるだろう。定期予約購読者に限っていた日経アートが、この春から一般書店売りに販売方法を拡大したので読者層の広がりを期待されることも、引き受けた理由の一つである。どうか書店で手にとってご覧頂きたい、そして出来たら買って下さい。
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