清浄なる詩情を描く「幸田暁冶遺作展」後記 | ||
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まったくその仰せの通りである。ここで少しその経過を述べさせていただくことにする。勤めていたジャパン・アート・センターという画廊から1971(昭和46)年に独立した。最初の活動として、これはと思う作家を紹介したカラーパンフレットを作成し、それまでに知り合った海外の知人を頼って全米各地に売り込みに行った。この時、幸田暁冶の日本画も選抜していたのである。その後、駆け出しの画商として資金不足のため、彼から2点の作品を委託で預かった。この時期に数度、アトリエを訪問した。碓か、参考図版38の<霧>がアトリエの正面の床に置いてあった。「気管支拡張症」のため殆ど外出しないことを話されたが、それ以上、詳しい画論を尋ねることもなく、「駆け出し」としては、作品を預からせていただくことだけで精一杯であった。 独立当初当てにしていた海外の顧客とは次第に疎遠になり、国内マーケットに比重を移した。友人・知人の伝手(つて)を頼り、まこと風呂敷画商よろしく、大きな風呂敷包みに数点の絵を入れて、えっちらおっちら売り込みに廻った。幸田暁冶作品の1点は売れた。もう1点が売れずにあった。そうこうする内に、新聞に幸田暁冶の訃報が載った。今さら僅かな画料を持って弔問には行けなくなってしまった。カトリック高野教会での葬儀の末席に連なり、ご遺影に密かに誓った。「いつかきちんとした先生の遺作展をいたします」と。 画廊の経営が次第に軌道に乗り始めてから、幸田暁冶作品に遭遇するたびに買い求めた。人知れず、1点、また1点とその数を増やしてきた。ようやく展覧会開催に必要な数と質になり、こうして遺作展にこぎつけることが出来た。思い立ってから実に27年の歳月が過ぎてしまった。ご遺族から作品を借りて展覧会をすることは容易い。それは私たちでなくても誰でもやれる展覧会だから、と踏ん切りがつかずここまで来てしまった。この「しつこさ」と執念が星野画廊の成立つ証でもあると信じて…。 時間のことで言えば、ここしばらくは北朝鮮の拉致による被害者の24年間の空白がある。空白というには真にむごい時間の経過である。私たちが数える時間の質とは比較にならない。この出来事についても保守・革新それぞれの政治家たちの過去の言動が不誠実に思えて仕方が無い。被害者ご家族の執念がこのように予想外の急展開を呼んだものだろう。いつの時代でも、どのような分野においても、執念と信念を持つものに最終的な勝利がもたらされることを期待して止まない。 |
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最後になるが、飽く事なき開発業者の悪しき執念の事を述べたい。私たちの画廊のある神宮道を少し南に入った、青蓮院前のマンション建築がとうとう始まったのだ。最近になって新聞の折り込み広告が何度も戸口に配達される。最初は、航空写真により知恩院から青蓮院にかけてうっそうと続く東山の山麓にある緑の帯の現状を印刷し、マンション計画地が如何に環境の良い所であるかを示した。その後、その緑を点線により区割りした醜悪な空白地のマンション用地を同じ航空写真に挿入したものを宣伝に使用している。実物をご覧になった諸兄は少ないと思うが、これほどあからさまに東山の山麓緑地の破壊を破壊者自らが広告媒体に使った例を私たちは知らない。更にひどいことには、この物件に南に並んでもう一件別開発業者によるマンション計画が進んでいる。開発・建築許可を出した京都市当局は、もちろんこの広告に目を通しているはずだ。古都京都の歴史と環境保全を旗印にして「文化観光都市を目指す京都」なんてキャッチフレーズは永久にフリーズしていただきたい。 私たち個人が関係したマンション開発問題と言えば、例の活断層直上に計画されたリクルートコスモス社によるものだ。前回展「澤部清五郎遺作展」の後記に触れた「私たちは今や被告となっている」の裁判では、当然のことながら私たちが勝訴した。裁判所は、私たちの運動が正当であることを認め、リクルートコスモス社の訴えを退けたのである。言論の自由を束縛するような強圧的な開発業者の姿勢を苦々しく考えていたジャーナリズムはやはり健全だった。その裁判結果をNHKテレビが夜のニュースで流してくれ、翌朝の新聞各紙もかなり大きく報道してくれた。その後、顧問弁護士の折田泰宏先生とも相談し、公道に出していたおよそ30本のノボリを片付けた。この3年間の運動にひとつの区切りをつける時と見たからだ。ただし、星野個人としてはリクルートコスモス社と何らの決着がついていない。我が家の敷地内に限っては、ノボリが何本も翻っている。大きな声では言えないが、近隣のほぼ全ての家々には、リクルートコスモス社の意を受けた建築施工会社等から何がしかの金が手渡されていたようなのだ。私たちが、金銭目的でなしに、純粋に社会的道義と防災面から正面きって大会社に挑んだことを、悲しいことに味方であるべき人々にまで理解されることがなかったようだ。しかし私たちは決してめげることはない。これまで通り正しいと信じたことは、最後まで筋を通したい。そこに人間が追い求めなければならない真実があると考えているからだ。
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