よみがえる百年前の風景「今、水彩画への誘い」

【後 記】                   星野桂三

 当画廊の主要な収集ジャンルに日本の水彩画がある。この分野で開催してきた展覧会は、「水彩画の名手・河合新蔵展(忘れられた画家シリーズ−18)」(1985年)、「三宅克己小品展」(1986年)、「明治・大正・昭和、水彩画名作コレクション展」(1989年)、「水彩画の黄金時代−6人の名手たち−」展(1994年)である。1998年の「今蘇る、明治末・京都の彩り〜浅井忠と京都〜」展に於いても様々な京都派の水彩画を紹介した。第3回世界水フォーラム京都開催を記念した「水の情景〜画家たちが描いた生活と自然〜」展(2003年)の前期展示として水彩画多数を並べた。
 企画展では多岐にわたる作品紹介をしているが、日頃水彩画を並べることはあまり多くない。画廊の明るいライトの下で長く展示すると色彩の劣化を招く怖れがあるからだ。ところがこの水彩画の持つ致命的と言える弱点こそが反対に大切な魅力の要素であると考えられる。保存の良い水彩画に閉じ込められた微妙な自然の様相が眼前に現れる。そのしっとりして柔らかい情感溢れる画面に、隠し味のように込められた画家の鋭い視線と筆先の技。料理で言えば奇をてらったヌーヴェル・クィジーヌでもなく、生クリームを多用したフランス料理でも流行のアジア料理でもない。淡白ではあるが素材を充分に活かし、心にしみじみ伝わる季節の満足感を閉じ込めた伝統的な懐石料理だろうか。
 本展で紹介している作品の多くがおよそ100年も前に描かれたことに注目してほしい。そのような昔に描かれた作品が、今ここに存在していることだけでも驚きに値すると私は思う。日本人はこうした固有の文化遺産に無頓着過ぎはしないか。描かれた場所や光景は決して特別な所ではない、昔なら日本中どこにでもあったし、誰でも経験することのできたものだ。明治という時代だけがそうだったから、画家たちはこうした名作を生み出すことが出来たと言えるだろうか。時間は流れ、私たちが生きている時代は落ち着きを失い、ひと言で言えば‘せわしない’。目先の利益に翻弄され、人間としての尊厳を見失い、ただあくせくと時間に追いまくられて生きるためにだけ生きる、そんな輩が主流を為している世の中だ。だからこそ貴重な水彩画の世界にご招待申し上げたい次第である。シェフとして「お味の方はどうでしたか」と尋ねるよりも、ただ満足感で身体中の血をなめらかに循環させて頂けるだろうかと期待したい。
 主要な作品頁に添えている解説とも感想ともつかぬ小文は、いつもの展覧会図録なら末尾の後記に紛れ込ませてきたものだ。拙著『石を磨く』の愛読者から続編の希望が寄せられてきている。本図録をそれに替わるものの一つとしてお読み頂ければ幸いである。
 本稿を執筆中に嬉しいニュースが飛び込んできた。景勝地、鞆の浦の埋め立て工事を認めないという県と市への免許差し止めの判決が下されたことだ。近代日本が利便性と即物的な経済効果を重視して、文化的・歴史的景観を破壊しつづけてきたことへの大きな警鐘となるだろう。車優先社会となった現状で住民が抱える問題はひとり鞆の浦だけに限らない。京都に於いても車を収納するスペースを確保する為に、民家の前庭が壊されてガレージになり、緑の空間が一つずつ塗りつぶされてきた。地価の上昇に伴い、低層の町家の多くが取り壊されて高層のマンションに変貌した。マンションは緑地を確保する意識など毛頭なく、もっぱら利便性と経済効率ばかりの建設が横行した。最近になり行政が重い腰を上げたが、時既に遅く、京都市内の伝統的な緑と職住が美しく共存していた町並みはほぼ消滅してしまっている。まだ遅くないと京都市の新景観条例を評価することにしているが、同じことなら10年ほど前にここに到達できればよかった。失ったものは二度と戻らない。広島地裁の判決は至極当然のものだ。
 全国的視野に立てば、民主党の衆議院選挙の勝利の結果、各地の大型公共投資の見直しが進むことになったことも喜ばしい。金が回らないことで目先の利益を失う利害関係者にとっては大変なことに違いない。しかし今思い切らねばこれまでの悪の連鎖を止めることは出来ないだろう。このところ京都を地盤にした政治家の活躍が目覚ましい。旗ふり役の前原国交相を始めとして、福山、松井ら民主党議員の活躍もある上、谷垣自民党新総裁も京都の人、共産党の穀田議員も国会が始まれば声高に活躍するだろう。とはいえ、彼らが文化的領域においてどのような見識を持っておられるのか、期待できそうにもないことが残念だ。
 京都市美術館でのルーヴル美術館展がツタンカーメン展、ミロのヴィーナス展らに続く開館以来5番目の大入りを記録した。京都市への分配金も多額のものとなるはずだが、肝心の京都市美術館へお金が還流されることなく、どこかへ流用されてしまう制度の不備は何とかならないものだろうか。自主企画展や購入の予算がほぼ零に近い、誠にお寒い文化行政を刷新してくれる文化度の高い議員が現れることを願う。
2009(平成21)年 10月 

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