「母子像名作選そして少女たち」展
2016年11月1日(火)〜12月3日(土)

【編集後記】・・・・・・・ 星野桂三

 星野画廊の創設(1973年)以来開催した主な展覧会はこれまでに105を数える。これらはすべてが自前のコレクションによる自主企画展で、主要な展覧会にはささやかながら図録を発行してきた。それらを一望する時、明治以降の美術史の流れの中で埋没しがちな佳作の発掘という作業を続け、いかに独自の路線を形成してきたか、当画廊の経過と内容が一目瞭然となる。単なる展覧会図録とは別に、『星野画廊蒐集品目録』を2冊刊行した。『かけがえのない日本風景』(2011年)と『青春の熱き鼓動/滞欧作品』(2014年)である。画家たちの「美の遺産」をどのようにして次世代に引き継いでいけばいいのか考えあぐねた結果なのだが、ちっぽけな画廊としては思い上がりのようにも見られるだろう。とはいえ現時点でたくさんの作品を所蔵し、悪くいけばいつかは雲散霧消しかねない蒐集品の行方を案じているのは、当の私たちだけではない。「これからどうするのですか?」と、よく尋ねられる。私たちにも良策が思いつかない今、せめて記録だけでも残しておくこと、それは責務のように思えるのだ。今回の蒐集品目録は3冊目となる。

 母子像と少女たちを描いた様々な佳作を収めている本著は、過去に拙著『石を磨く−美術史に隠れた珠玉』(2004年 産経ニュースサービス刊)で紹介したものや、これまでに企画展図録の中で紹介した作品が多く含まれている。画廊蒐集品の中で極めて重要と大切にしてきた思い入れの深い絵もある。今回このテーマで選び出してまとめてみようと考えたのは、印象派の女性画家メアリー・カサットの展覧会が京都国立近代美術館で開催されることを知り触発されてのことであった。カサットが女性らしい視線で描いた母子像が展覧会の主要なテーマであることから発し、当画廊所蔵品の中から母子像を拾いだして始まったのである。ところが母子像だけではまとまりに欠けることから、描かれた少女たちへとその範囲を広げてみたのが実情だ。当画廊では3年前に「生かされた女性美」展を開催して冊子を発行しているが、近代日本画の作品だけに焦点を当てたものだった。本著においては数点の例外を除き、洋画作品に的を絞り込んでいる。ほぼ全作品に拙文で解説をつけてみた。好評を得た『石を磨く』が既に絶版となっており、なかなか入手できなくなっている。画廊にお越しの美術愛好家の方々から続編の刊行を期待する励ましの言葉を常々頂戴しているので、本著をその続編に替わるものにしてみたいというささやかな願望があってのことである。

 作品図版、解説文、そして作家略歴を同じ頁に掲載しているのは、図版を見ながら解説を読み、同時に当該作家の略歴も参照できるのは私の経験から便利だと感じたからだ。主要美術館開催の展覧会図録では作品図版を立派に見せることが最初にあり、作者の紹介や解説などが小さな文字で巻末に列挙されることが多い。制作の手間などを考慮すれば、こうした頁構成は仕方がないのだが、作品と当該作品の注釈や説明をいちいち見比べるのは億劫でしかたがない。だから多くの図録の巻末にある専門的な説明や資料は一般に読まれることなく闇に葬られることになりかねない。美術資料としてだけでなく読み物としても見られるようにしたいと今回は頑張ってみた。

 実際の展覧会場においては、展示作品の解説表示板もない、たとえあっても小さくて読みにくく、すこぶる不便不親切なものに閉口してきた方も多いのではないだろうか。専門家の範疇に入る私でさえ、そのように感じるのだから、一般の方々はどのように感じておられるのだろうか。最近の美術館離れとか展覧会離れにそうした不親切さが一因になっているかも知れないと感じる程である。

 話はそれるが、この夏に京都で開催されたふたつの美術展で直接見聞きした光景に少し触れてみたい。京都国立博物館で開催された特集陳列「生誕300年 与謝蕪村」展の展示には英文による丁寧な説明板があり、海外からの数奇者や研究者が時間をかけてそれ等を読みながら作品の鑑賞を続けている光景を実見した。ほぼ同時期に京都国立近代美術館開催の「アンフォルメルと日本の美術」展は、戦後日本美術の熱い時代を凝縮した素晴らしい展覧会で好評だったと感心している。ところが「英文説明表記がまったくないのは、あのような国際基準を満たす良い展覧会なのに海外からの観客には気の毒だった」と知り合いから聞かされて、あぁーそうだったなと気がついた。海外から京都を訪れる人の数が飛躍的に増加している。そうした人々にどのようにアピールすればよいのか、他山の石として私自身も反省すべきことである。

 美術作品の紹介について主催者の懇切丁寧な説明が求められる時代である。たくさんの展覧会が各所で同時進行しており、展覧会を見た観客の感動を口コミで広がらせることが、展覧会の成功の鍵を握るようになってきている。それほど展覧会過当競争の時代に突入していると私は感じている。せっかく長い時間をかけて準備した展覧会の事前PRもさることながら、口コミネットで広がる行列のできる美味しい店のように展覧会情報をいかに拡散していくのか、これからはソフト面での力の入れようが展覧会の成否を握るだろう。当画廊のホームページの表記も現在は日本語でしかしていない。日本美術の良さを国際的に理解してもらうためにも、せめて英語での説明を加えることを考慮すべきなのだが、どうにも時間が取れない。良い展覧会ほど人が入らないものだと言い訳せず、先ずは「隗より始めよ」と自戒しているのだが…。

 最近の京都で静かではあるが深刻な問題が進行中である。東京都美術館に次いで日本で二番目にできた大規模公立美術館として1933(昭和8)年に設立された京都市美術館の改築を巡る問題である。近い将来に危惧される南海大地震や直下型地震への備え、老朽化した設備の改善、常設展示場の確保など、また手狭だった収蔵庫を拡大して寄贈品の受け入れがままならない状態から開放されればと、私たちは大きな夢と期待を抱いてきた。ところがその費用およそ100億円の捻出方法が市民の広範囲な支持が得られずにいるのだ。改修費用の半額を「ネーミングライツ」(命名権の売却)により捻出するという今回の行政のアイデアは、岡崎公園内の京都会館の改修にあたり、ローム株式会社にその名称を売却して得たことで実現した成果に基づいてイージーに進められたものだろう。なるほどロームシアター京都(旧京都会館)は、スムーズに市民に受け入れられているようだ。ところがこの施設はいわば貸し会場。名称なんて二の次、要するに公演が魅力的なものなら名前なんてどうでもいいことと市民が受け止めて問題にならなかっただけとも考えられる。ところが80年以上の歴史の中で世界に冠たる地位を占めるようになった京都市美術館は、その多彩な収蔵品の多くが市民の長年の寄贈により成り立って来ており、寄贈者たちからも疑問の声が上がっていると報道にあった。公立美術館の命名権設定の例はこれまで全国的に見ても例がないようだ。過日画廊に来られたある高齢美術家は、自分の人生と同じ年を生きてきている京都市美術館は自分の存在そのものと憤慨していたし、またある現代美術の関係者は、市が自前で確保できる費用内での美術館改修をすればいいのにと主張されている。そこへもってきて改修の入札が不調に終わったと報道されたところだ。市の予定費用の設定からは30億円もの開きがあり、今後設計内容の見直しをして再入札へ仕切り直しとなるとのことだ。京都市京セラ美術館になることには小さな疑問が残り、心情的には納得できないと考えるのだが、行政が考えている施設の老朽化対策は充分理解できるものであり、新装なる美術館への期待も大きい。難しい問題であることは変わりがない。京都市京セラ美術館への名称変更がなされるなら、ついでに年間5000万円ほどの作品購入費用も基金としてお金持ちの京セラに負担して頂ければどうだろう。以前に兵庫県立美術館では伊藤文化財団からの特別枠での作品購入がなされていたことがあった。年間1億円にあたる格安の宣伝費で命名権の購入を企った同社に、更なる名誉的な支援をお願いできればせめてものことと厚かましい希望を抱いている。さらに別の問題が残る。京都市美術館の集客力が、改修整備完成の3年後(2019年10月)まで途絶えてしまう。その期間をどのように乗り切ればよいのだろうと、近隣で営業する店舗の事業者たちが心配している。また長い間、同美術館で展覧会を開催してきた美術団体や美術家グループからはその代替え地を捜す苦労が始まっているとも聞く。

2016(平成28)年11月

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