今、蘇る。明治末・113年前の京都その風景と人々の暮らし
黒田重太郎 鉛筆素描「京都、洛中洛外」

展覧会趣旨

明治の末期、113年も前の京都・洛中洛外には、今では信じられない牧歌的な風景がそこかしこに息づいていた。藁屋根の農家、畑仕事や家事にいそしむ人々、街道筋の米屋や旅館などの家並みと往来する人、そして花街の遊郭まで。穏やかで豊かな自然の恵みの中に暮らす人々の生活ぶりが眼前に広がっている。それらは今では決して見ることの出来ない失われた風景。画家修業中の若者が遭遇し、自らの感性と厳しい画家の眼のフィルターを通して、鉛筆の濃淡と強弱だけで描いた感動の名作群である。

描いた画家は昭和前期、関西洋画壇の重鎮として活躍した洋画家の黒田重太郎。1997(明治20)年、大阪船場の豪商「秩父屋」の分家の長男として現在の滋賀県大津市に生まれた黒田重太郎は、船場に戻った両親のもとで幼少時を過ごした。小学校卒業後、東京の慶応義塾普通部在学中に画家を志すが反対され帰阪を強いられた。が、画家になる夢を捨て去ることは出来ずにいた。親同士が懇意であった洋画家の河合新蔵の紹介により、1904(明治37)年5月頃、京都市室町通丸太町上る西側にヨーロッパ留学から帰国して画塾を開いたばかりの鹿子木孟郎に入門した。無駄のない一本の線描を大切にする鹿子木の指導を受け、黒田は連日の市中写生行脚に出かけた。

やがて浅井忠が開設した聖護院洋画研究所(のち関西美術院)に入所し、厳格ながら包容力のある浅井の指導も合わせて受けることになった。1916(大正5)年に渡仏しパリのアカデミーで学ぶ。帰国後の二科展で二科賞を受賞、1921(大正10)年二度目の渡欧後、二科会員となり、小出楢重らと大阪で信濃橋洋画研究所を開設。戦後は宮本三郎らと二紀会を創立。京都市立美術専門学校(のちに京都芸大)の教授となり後進を指導。日本芸術院恩賜賞受賞、勲三等瑞宝章受章。1870(昭和45)年82歳で没した。昨年が生誕150年、再来年に没後50年を迎える。

本展では全作品94点を一堂に公開します。是非ご覧下さい。

展示作品(一部抜粋)

「於三条」
1906年(明治39)3月13日
「於出町」
1906年(明治39)4月2日
「花園村」
1905年(明治38)4月15日
「葛野郡朱雀野村々舎」
1904年(明治37)12月6日
「小北山村」
1905年(明治38)4月29日
「六軒町」
1905年(明治38)4月21日
展覧会図録発売中
 
今、蘇る。
明治末・113年前の
京都その風景と人々の暮らし


黒田重太郎 鉛筆素描
「京都、洛中洛外」

 
B5判
頒価:1,000円

黒田重太郎素描(風景)目次

No. 題名 制作年(西暦/和暦) 日付
1 「鴨川堰邊ニテ」 1904(明治37) 9月15日
2 「御所宗像神社境内」 1904(明治37) 9月18日
3 「御所宗像神社境内」 1904(明治37) 9月22日
4 「東山近傍」 1904(明治37) 9月23日
5 「東山近傍」 1904(明治37) 9月24日
6 「下鴨近傍」 1904(明治37) 9月26日
7 「御所紫宸殿南門」 1904(明治37) 9月29日
8 「御所堺町御門」 1904(明治37) 9月30日
9 「二条城畔」 1904(明治37) 10月4日
10 「朱雀野村」 1904(明治37) 10月5日
11 「堀川竹屋町橋」 1904(明治37) 10月6日
12 「下鴨神社楼門」 1904(明治37) 10月8日
13 「前栽」 1904(明治37) 11月頃
14 「二条城北」 1904(明治37) 12月2日
15 「葛野郡朱雀村」 1904(明治37) 12月3日
16 「葛野郡朱雀村にて」 1904(明治37) 12月5日
17 「葛野郡朱雀村々舎」 1904(明治37) 12月6日
18 「朱雀野村」 1904(明治37) 12月9日
19 「朱雀野村」 1904(明治37) 12月10日
20 「大阪綱島」 1905(明治38) 1月4日
21 「生野村、天王寺近傍」 1905(明治38) 1月5日
22 「京都出町橋近傍」 1905(明治38) 1月24日
23 「風景」(仮題) 1905(明治38) 2月4日
25 「街風景」(仮題) 1905(明治38) 2月頃
26 「朱雀野村」 1905(明治38) 2月14日
27 「朱雀野村」 1905(明治38) 2月14日
28 「伏見」 1905(明治38) 2月28日
30 「朱雀野」 1905(明治38) 3月2日
31 「上賀茂近傍」 1905(明治38) 3月3日
32 「上賀茂近傍」 1905(明治38) 3月3日
35 「太秦」 1905(明治38) 3月1日
36 「太秦村」 1905(明治38) 3月8日
37 「花園村」 1905(明治38) 3月9日
39 「朱雀野」 1905(明治38) 2月12日
40 「千本通四條」 1905(明治38) 3月15日
42 「西院村」 1905(明治38) 3月18日
44 「下賀茂村」 1905(明治38) 3月19日
45 「西院村」 1905(明治38) 3月28日
47 「北野神社」 1905(明治38) 4月6日
49 「花園村」 1905(明治38) 4月15日
50 「朱雀野村」 1905(明治38) 4月16日
52 「北野近傍」 1905(明治38) 4月18日
53 「平野」 1905(明治38) 4月20日
54 「六軒町」 1905(明治38) 4月21日
55 「北野近傍」 1905(明治38) 4月21日
56 「大北山村」 1905(明治38) 4月22日
57 「農家の庭先」(仮題) 1905(明治38)頃 不明
59 「大宮村」 1905(明治38) 4月24日
61 「大宮村」 1905(明治38) 4月27日
63 「小北山村」 1905(明治38) 4月29日
66 「上賀茂堤ニテ」 1905(明治38) 5月11日
67 「上賀茂」(仮題) 1905(明治38) 5月頃
68 「下鴨」 1905(明治38) 5月17日
69 「疏水」 1905(明治38) 5月19日
70 「大宮村ニテ」 1905(明治38) 5月22日
71 「大樹のある屋敷」(仮題) 1905(明治38) 5月頃
75 「壬生近傍」 1905(明治38) 6月9日
77 「上賀茂」 1905(明治38) 6月12日
78 「上賀茂」 1905(明治38) 6月13日
79 「田中村近傍」 1905(明治38) 6月25日
81 「上賀茂村」 1905(明治38) 6月27日
82 「下鴨村近傍」 1905(明治38) 6月29日
83 「鞍馬口近傍」 1905(明治38) 6月29日
84 「御所」 1905(明治38) 7月6日
85 「御所」 1905(明治38) 7月7日
86 「出町橋畔ニテ」(裏面に顔の素描) 1905(明治38) 7月27日
88 「大宮村近傍にて」 1905(明治38) 8月2日
90 「出町橋畔」 1905(明治38) 8月10日
91 「白川村」 1905(明治38) 8月11日
92 「竹林農家」(仮題) 1905(明治38)頃 不明
94 「室町頭近傍」 1905(明治38) 3月7日
95 「出町橋畔」 1905(明治38) 8月30日
97 「下鴨村ニテ」 1905(明治38)頃 不明
99 「下鴨村ニテ」 1905(明治38) 9月15日
100 「下鴨村ニテ」 1905(明治38) 9月17日
101 「出町橋畔落日」 1905(明治38) 10月8日
102 「出町近傍」(仮題) 1905(明治38) 10月9日
103 「鴨川堤」(仮題) 1905(明治38) 10月19日
104 「田中村ニテ」 1905(明治38) 10月21日
105 「郊外の農家」(仮題) 1905(明治38) 不明
106 「川岸風景」(仮題) 1905(明治38) 11月27日
107 「於大阪」 1905(明治38) 8月3日
108 「街角/日傘の女」(仮題) 1905(明治38)頃 不明
109 「郊外風景」(仮題) 1905(明治38) 10月23日
110 「於出町」 1905(明治38) 10月26日
111 「於田中村」 1905(明治38) 10月27日
112 「郊外風景」(仮題) 1905(明治38) 10月29日
113 「於三条」 1906(明治39) 3月13日
114 「川岸の農家」(仮題) 1906(明治39) 4月4日
115 「出町ニ於テ」 1906(明治39) 2月4日
116 「出町風景」(仮題) 1906(明治39)頃 不明
117 「土手風景」(仮題) 1906(明治39)頃 不明
118 「農家」(仮題) 1906(明治39)頃 不明
119 「農家」(仮題) 1906(明治39)頃 不明
120 「墓」(仮題) 1906(明治39)頃 不明
121 「川岸風景」(仮題) 1907(明治40) 5月30日
122 「街角」(仮題) 1910(明治43) 1月
123 「高瀬川斜陽」(仮題) 1910(明治43)頃 不明
124 「行商人のいる橋」(仮題) 1910(明治43)頃 不明
125 「街並の裏」(仮題) 1910(明治43)頃 不明
126 「倉庫の裏」(仮題) 1910(明治43)頃 不明

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