ナイーブな感性で描いた珠玉の作品を一堂に
没後17年・藤田龍児遺作展
2019年11月5日(火)〜11月30日(土)

大地—エノコログサのゆりかご
《藤田龍児の黄色い空とエノコログサ》追記・・・・・・・ 星野万美子

 昭和は激動の時代だった。そして未だに強い影響力を持っている。藤田龍児が逝って17年、昭和の初めに生まれて昭和を生き抜き、昭和を真剣に背負って絵に打ち込んだ理論派の画家である。戦後の風景の中にひとり佇み、昭和という時代が否応なく造った激変の現実、醜さと哀しさを厳しく見つめた。初期作品にそれを問い続けた絵が多い。しかし、画家はその頃からすでにエノコログサ(「於能碁呂草」)で表される自然と、「於能碁呂島」から発する歴史の中で紡がれた、避けがたくも貴い智恵のなせるわざに心を馳せていた。醜い現実の奥に厳然と横たわり哀しさを凌いでいくのは、自然であり智恵の強さと美しさだという認識である。その意識は画業中期以降に大きく育ち、エノコログサだけではない、営々と受け継がれてきた日本人のあり方の中に、えも言われぬ豊かさや和やかさが育まれていることをしっかりと読み取っていく。智恵こそが強くて和やかな人の暮らしを産み、人を美しく潤している。それを喜び楽しんで風景の中に再現した。平成の時代になっても昭和を描き続けた。藤田龍児は、昭和の隅に鮮やかに遺っていた日本の限りない美しさを蘇らせる才に溢れていたと言えよう。まさに昭和の原風景である。

 藤田龍児の絵はよく観ると怖い。初期に現実を問い続けた画家は、後になって画風が変わっても醜く哀しい現実を忘れることはできず、どこかに隠して、あるいはアイロニーとして描いているからだ。しかし、画家はそれを覆い尽くすほどのメルヘンと見紛う雰囲気を画面に溢れさせ、本題へと導いていくのである。いつ観ても楽しく、いつの間にか背中を押されて勇気づけられていく龍児の世界へと。これは藤田龍児の仕掛けなのだ。

 40歳代の後半から2回も脳血栓による発作で倒れ黄泉の国の入口を覗き見してきた藤田龍児は、一時は画業さえも断念しそうになった。苦悩からようやく立ち上がった龍児は、凡夫が経験し得ない次元で見て感じて考えた全てを絵に投入することによって光を見出していく。黄色い空の下地は真っ黒、川や池の底は真っ黒、家の中は真っ黒、龍児の絵にはブラックホールのような底知れぬ暗黒が潜んでいる。と思いきや、すぐさまそれを凌駕する光が輝き、すばらしい世界が暗黒を制覇して目の前に現れる。ただのメルヘン世界ではなく、苦悩を乗り越え闇を通り抜けたからこそ光り輝く、裏打ちされた明るくて楽しい世界である。そこは、何にも増して醜さや哀しみさえも変貌させていく厚みのある温かさを包容しているのだ。日本人が延々と紡いできた穏やかで麗しい考え方、言い換えれば、自然の恵みを受け自然と共存し、智恵を生かし何にも優しい和やかな生き方でもある。絵のそこかしこにその温かさを彷彿させ、この世はこれほど美しくて楽しいものだと語りかける。

 藤田龍児は、平成を通り抜け滑らかに令和を迎えた私たちに、忘れかけている日本人としての矜恃を蘇らせるべく強いメッセージを贈っている。長い間に培われた日本人の、自然と共存する賢くて和やかなあり方ほど強くて美しいものはなく、私たちを慰め励ましてくれるものはないよ、と。道を逸れたこともあるが、日本人の基本に還ればいいよ、と。先人が築いた生き方や考え方はなかなか楽しいではないか、と。

 「黄色い空」と「エノコログサ」は藤田龍児を語るに欠かせないキーワードだが、最近私はもう一つ加えたいと思うようになった。「大地」である。黄色い空の下に必ず広がる大地、エノコログサの大いなるゆりかごである大地、うねうねと続く道を辿ればどこまでも繋がっている大地、虫たちが潜っては這い出てくる大地、そして「於能碁呂島」である。藤田龍児の描く大地は、くねくね とうねうねと個性的で、画面構成の重要なポイントにもなっている。その大地の上で、人たちが、動物たちが、ヘビが、樹や花が、そして道と家、アパートや工場、線路や駅、公衆便所など人間の造ったものが、まるでダンスをしているように楽しく遊んで暮らしている。大地の下にはエノコログサの根が力強く張り詰めている。全て大地あっての恵みだと言わんばかりである。故郷の和歌山の美しい山並みへの思慕があるのかもしれない。大地が躍動して山や谷を成すような、または蓬莱図や山水画に見られる望観図的な描き方は、自然を崇めて和やかな生き方を模索した先人たちと響き合っているだろう。

 藤田龍児の謎は深い。まだまだ絵の中の楽しい旅は続けたいが、いつになったら、一体どこに行き着くのだろうか。遠いところに逝ってしまったはずの藤田龍児が、未だに近くにひょっこり、いたずらっぽくニヤニヤして立っているように感じられるのも不思議である。

        

2019(令和元)年10月

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