玉村方久斗と印象派(描かれた木々草花を中心に)    星野万美子




















































 方久斗は尋常から遥かに飛び抜けたようなところのある、いわば、人柄全体がアーティスティックであった、そんな感じがしている。way of thinking、way of living (その人の人生を貫いて基となっている、信念・考え方と生き方・暮らし方) も終生アーティスティックだったんだろうなと想像できる。本来芸術に境い目などはなく、大正期の新興美術運動に飛び込んで絵描き以外の芸術活動もした人であるが、日本画材を使った制作から最後まで離れることがなかったことは注目すべき点で意味がある。本来の日本画の絵描きとしてのあり方を模索し続けたゆえのアヴァンギャルドの活動ではなかったか。ひとつの疑問から発して、純粋にアーティスティックな人が、その時代とその環境の中で、自分の目と足で確かめて歩んだ結果がそうだったのではないか。作品を通じてしか知り得ないのに、後世に亘って人の心を打ち続ける画家にはそういう人が多いが、まさに彼はそのひとりだと思う。
 方久斗の残してくれたものはいろいろあるが、ここでは画帖にある木々草花たちを中心に触れてみたい。
 画帖は何册もあるらしいが、単に画帖と言うなかれ、方久斗の画帖は目を見張る素晴らしさなのだ。そこに画家の才気が集約されており、堂々たる佳品に完成されているからである。あまりにも私的な「床の間芸術」の楽しみ方だとお叱りを受けそうだが、画帖の袋になった部分に人さし指を入れページを繰りながら観る、この国で昔から行われている、絵を身近で観る楽しさは極上である。特に木々草花の描写が突出して素晴らしい。私は長年草花を育て、毎日植物を眺めて暮らしている。ガーデニングが趣味というより生活そのものになっているのだが、方久斗の描いた木々草花にガーンとやられるのだ。方久斗は、木々草花が備えている細かい大事なところや美しい瞬間を決して見逃さないからである。私達凡人が全然気が付かない植物の真の姿と美を、いつの間にか鋭い眼で見い出す洞察力もさりながら、咄嗟に、独特の筆捌きで作品に書き写してくれているのだ。さりげなく、そして見事に。ありがたいことに、私達はそれを見て、ああそうだったのか、なるほどよく見れば本当にそうだ、そこまで詳しく見るのか、誠にそうだ、実に美しい‥‥そんな、貴重なものを発見できたような幸せな気分に浸ることができる。それだけではない。そこからもう一歩進んで心象的発展をしてこそ見えてくる、画家のフィルターを通して表現された、こっそり隠れていた透明な世界にも連れていってもらい、新たな発見の幸せを頂くこともできる。小さな、さっと描かれた草花から、無限の華やかな世界を頂戴できるのだ。
 それ程の威力が方久斗の絵にはある。これは、まさに「印象派」であると思う。竹内栖鳳が、伝統の日本画の枠を撃ち破り、ターナー風とか「朦朧体」さながらにとか言われながら、西洋のやり方をも見事に消化して取り入れたこと、続いて国画創作協会の画家達が競い合った日本画における革新のトライアル…それ等は当時伝統的な日本画の本拠であった京都に起こった、全くの新しい挑戦であり、息吹きであり、うねりとなった。その京都で生まれ学んだ玉村方久斗は、そのうねりを受け、持っていた才気が噴出したと思う。何でもこなせる技量を持ちながら、決して従来のやり方を踏襲せず、内から湧き出てくるものを一等大事にして懸命に書き写したのだ。それこそが呪縛からの解放あるいは自由であり、「印象派」である。「印象派」という言葉がその誕生時には皮肉で与えられた言葉であったし、「朦朧体」もそのような意味合いを持っていたように、方久斗もあれやこれやと、何を描いても批判的な言葉を賛辞よりも多く浴びたようだ。“新しい”ということは
いつもそういう目に合うらしい。

































































































 近年日本ではモネが大はやりである。絵画はもちろんのこと、ガーデニングに於いて、彼の絵の源にもなった「モネの庭」が大層な人気なのだ。モネは43才から亡くなるまでジヴェルニーに居を構え庭造りにも専念した。絵を描く以外はガーデニングをしていたという。モネの庭は、幾何学的なフランス式庭園とイングリッシュガーデンのいわゆるコテッジガーデンのスタイルを融合させたものだが、画家らしい自由な目で色鮮やかな木々草花が、建物、池や橋、アーチと共にうまく配置されており、人気だけではなく、庭としての評価が高い。「モネの庭」と呼ばれて特別な分類のように扱われ、日本でも各地でいくつかそっくりに作られて親しまれている。浜松の花博で、数ある庭の中でモネの庭には長い行列ができた。比叡山々頂のガーデンミュージアムのモネの庭は実際の庭を縮小して再現しており、私達もよくお邪魔するが、花好きの紳士淑女の間で大人気だそうだ。またモネの死後しばらくして復元された実際の「モネの庭」は海外に出かける人達の観光スポットになっているらしい。最近ヒートアイランド現象に対応する為かどうか、渇望されて出現し出した植栽のあるビルやマンションにも、日本庭園はもちろんのこと、同じく人気のあるイングリッシュガーデンの様々なスタイルと共に、多かれ少なかれモネの庭を意識したガーデンデザインが施されている。
 モネが「モネの庭」で描いた絵にある木々草花は、庭の空気や水、季節やそこに吹いている風をも取り込んで、彼が写生している庭に私達をいつの間にか誘い込んでしまうような、そんなように描かれており、私達はついつい気持ち良く魅了されてしまうのではないか。モネの絵を観ているうちに知らぬ間に、脳裏にはモネの庭が燦々と広がっていく…モネの庭に佇めば、モネの絵が走馬灯のように駆け巡っていく…そんな楽しさを人々はエンジョイしているのではないか。
 方久斗の木々草花は、どちらかと言えばそんなモネとは反対の極に立って描かれている。植物そのものへ近づいて奥へ奥へと入り、その細部や特質の綿密な厳しい観察をした上で、草木そのものと深まったところに宿る美と瞬時の美しさを表現し切っていると思う。真実についてなら学者もそうであろう。また、多くの日本画家もそのようにして素晴らしい作品を残している。方久斗の場合は、植物が生きている瞬間に垣間見せる美しさを捉えて離さず、しっかりと書き写している、またそういう所に重点を置いているのではないか、と私は思っている。ただあるがままの美しい形と色だけではない。たぎる生命力から自ずと溢れ出て来る強い美しさ、光や空気や水を受けて光りを放つ瞬間のいのちを、着実に描いているのだ。だから、はっとして心を奪われてしまう。花はもちろん、葉の一枚一枚、幹や枝、葉柄の、それぞれが生きている役目を健気に果たしている、いわば真剣な植物の生きざまが読み取れるから、強く私達を感動させるのではないか。
 そして私達は、その描かれた対象を眺めているうちに、それを通して観ることによって、描かれてはいない後ろの空気や光や匂いや雰囲気をも感じることができる。単に木々草花を巧みに描いた絵に終わるのではなく、大自然のとてつもない生き生きとした世界へと私達を導いてくれる、そんな能力が、方久斗の絵には潜んでいると思う。方法は違ってもモネの時と同じような、新しい世界を発見したような幸せな満ち足りた気分にしてくれるのではないか。これこそが、印象派だと言えはしないか。































































 玉村方久斗は<雨月物語>や<伊勢物語>などを題材にした絵を多く描いているが、従来の大和絵とは大いに違っている。木々草花を描く時と同じように、画家の頭にある物語の解釈から発して、そのものの世界というか雰囲気を、美しく絵画的に表現しているのである。時代や風俗や衣裳の考証はそこでは必要無いのである。それが玉村方久斗のやり方であったが、当時、それは今までにはない、はぐれた、思いきった方向を示していた。絵が物語を伝える時、私達の頭に描かれ、触発され、残って行くのは、その広がる芸術的な世界なのであって、決して歴史を知りたいように事実を認識したいのではないだろう。強烈な画家のメッセージを感じる時にこそ印象が深まるというものだ。そこを方久斗は狙っていたように思う。
 本展の目玉作品のひとつである『草花の帖』から、今回ここではほんの一例として、方久斗と<ボケ>(図版B-1、P40)について触れてみたい。その生き生きとした枝振り、朱赤のこの上ない可愛らしく芳醇な花々、それを支えている葉の様々な生き方を示唆している豊かな表現、全体が醸し出す美しさと強さは本物以上である。この絵を観たら、きっと誰もが早春の青々とした息づかいと少し暖かくなった風を感じることであろう。それぞれの脳裏にある、織り成す植物の群れやどこかで見た庭、または郷愁を感じる人もいるだろう。春の足音が聞こえるかもしれない。そんなどこにでもあるボケの花なのに、力に満ちている。





















































 バラ科に属するボケには、日本のどこにでも古来からあるクサボケと中国から輸入されて品種改良されてきた数多くの園芸品種があるが、どれもこれも非常に美しい花を咲かせる。花梨とも親戚で、小さな花のわりには大きな瓜型の実を付けるので、木瓜との漢名がある。この実はお酒にして香りがよく、楊貴妃が好きだったという話もある。有用植物でもあるのに、ボケという響きに私は小さい頃心を痛めたものである。小学校の校庭は四季の木々草花に溢れ、二宮金次郎の像もあったし、アヒルの池もあった。桜は誰でも美しさを愛でたが、それより少し早く咲く可愛いボケの花には目を止めず話題にも上らなかった。多分ボケという名のために、或いは棘があったから、賢明な大人達は黙ってひとり咲かせておいたのだろう。それが、余計に私の小さい胸を掻きむしった。ボケの傍を通る度に走り寄ってその赤とピンクの花を一人で眺めて、ことある毎に友達に「ボケってきれいね」と言っては無視されたのを覚えている。私のボケの花の思い出と言えば、いつもボケがひとりぼっちに見えたことである。それ以来私はボケの花が咲いていると必ず立ち止まって美しさを愛でることにしている。だが、その棘は本当にびっくりするくらい強烈であるから、以前に庭に植えて大怪我をし腹が立って始末してしまったことがあり、狭い一般家庭でいろいろなものを混植する庭には向かないのかもしれない。むしろ盆栽で楽しむ人の方が多いだろう。最近は棘のない園芸品種もあるからもっと栽培されてもいいと思うが、どうもボケの響きが邪魔をするらしい。幸い私は近所でボケを植えている人がおり、毎年楽しませてもらっているが、その人も実は棘に往生しておられる。
 この棘をも、方久斗は愛でて力と成しボケの全容を巧みに写している。方久斗が描くのはヒボケに近い品種のようだが、どこにでもあり、地下茎のようにしていくらでも増え、現実に近所のおじさんが困っているのだが、そんな様子まで読み取れる絵になっている。でも世話がやける木であることとは裏腹に、ボケの自然な美しさは早春の景色の中でも飛び抜けているのだ。その美しさを方久斗は逃さず、自然の営みの代表として、愛情を込めて、春の象徴として何度も描いている。ボケは日本にもともとあったものであるが、早くも魏志倭人伝にもボウとして出ているらしい。ボケはそんな昔からこの地に根付き生き続け可憐な花を咲かせ続けてきたのだ。私達の思惑なんかちっとも気にしない、ボケの美しくて繊細なのに、強くて雄大なところが、身体もやることも大きいのに、繊細な心で溢れていた方久斗自身に重なって見えるのは私だけだろうか。私もボケを見直して少女の頃のストレートなボケへのやさしい気持をとりもどしつつある。


































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