増原宗一について 菊屋 吉生 |
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増原宗一について、その略歴を記録したようなものは、まだ目にしていない。その生年や出身地さえさだかではない。わずかに師である鏑木清方がその画塾展である「郷土会」について記した文章のなかに、「増原宗一は咲二郎の画名で巽画会に「讀賣」と云って昔辻々に市井の出来ごとを瓦版に刷って賣りあるいた姿を出した時、それが縁となって門に入ったので、この人には谷崎さんの「人魚の嘆き」だとか歌舞伎十八番の「鑷(けぬき)」に出る、髪の逆立つ病に悩む錦の前だとか怪異な作風を好んだがその人はいつも身形(みなり)を整へ行儀も正しかった。」(「郷土会」『続こしかたの記』中央公論美術出版、昭和42年)と、紹介があるのみである。 |
ただこうした活動は、増原の前衛的な内容もふくむ同時代絵画への共感を示すものであって、むしろ彼の寄って立つ所はあくまで日本画であったとみられる。一月会の結成に先立つ大正6年に、彼は「芸術社」という団体の結成に参加している。この団体は織田観潮、小山栄達、町田曲江といった当時の文展日本画の中堅どころが集まった会であったが、実際に作品を出したのかどうかは不明ながらも、その発起者を見ると北野恒富、山口草平、岡本大更、幡恒春など、今見るとかなりの曲者も名を連ねていた一風変わった団体でもあったようだ。(「芸術社起る」『都新聞』大正6年4月9日)増原の志向は、明らかに前者の画家たちよりも後者の画家たちに近いものだったといえる。実際その出品作は、他の出品作とはかなり異なったもので、その耽美的な雰囲気や凄みが、見るものの注目を集めたようであり、各新聞や雑誌の展覧会評においてもそのことを指摘するものが多い。 これら小グループへの参加はあったものの、増原の主たる作品発表の場は、清方門下の画塾展である「郷土会」であったといえる。当時の清方は、たとえばベックリンの作品との共通性を批判された大正9年制作の<妖魚>に象徴されるように、世紀末的な、あるいはある種耽美的な雰囲気をもった作風を展開していた。こうしたなかで、その門下の画家たちも多くは美人画中心ではあるが、妖艶で耽美的な感覚あふれる作品を発表していた。伊東深水、寺島紫明、大林千萬樹、小早川清、西田青坡などはとくにそうした官能性の強い美人画を出品していたが、そのなかにあっても増原の描く美人は、独特な雰囲気をもったものとして師の清方も一目置いていたのだろう。 この郷土会展の内容についてはまだ十分に資料がそろっていないため、増原の出品の状況もはっきりとはわかっていないが、大正4年6月の第1回展の段階では、まだこの会へは出品はしていなかったと思われる。おそらく増原がこの郷土会展へ出品をはじめるのは、大正6年5月の第3回展からであろう。ということは清方の門下となったのも、この頃からと考えていいだろう。 今回この図録の資料として載せられる『宗一画集』で紹介されている作品は、すべて大正10年に日本橋倶楽部で開催された個展に出品されたものである。序文にもあるように浅井倍之助なる人物からの依頼画に数点の旧作を加えたものであったようだが、その旧作というのが、<舞><三の糸><悪夢><華魁>といった作品かもしれない。そして今回の星野画廊での出品作と、『宗一画集』とをあわせ見れば、ほぼ増原宗一の制作のあり方を把握することはできるのだ。清方というよりは、恒富の画風を髣髴とさせる<舞>や<三の糸>から、<悪夢>あたりからその作風に一層凄みが出てきて、<華魁>では細面に筋のように切れ長の目を描く増原独特の美人の顔貌表現が出来上がっている。一方その描く植物はというと、いずれも通り一遍ではなく、いわくありげに自己主張したものばかりだ。また<観自在>などでは、その茫洋とした画面が世紀末の雰囲気を強く漂わせる。たしかに師の清方が言うごとく、怪異で耽美的な感覚を強くにじませるが、作品そのものの雰囲気はけっしてどろどろとした退廃的なリアリズムを感じさせるものではない。むしろそこには古典的、文芸的な趣向と品格を見て取ることが可能なのだ。清方が「いつも身形を整へ行儀も正しかった」と述べる増原の姿も、こうした雰囲気を伝えるように思えてならない。 昭和3年12月に増原の遺作展が開催されているが、おそらく彼は同門の伊東深水らなどと同世代であったろうから、絵描きとしてまさに20代から30代にかけての脂の乗り始めた時期に亡くなったこととなる。歴史にもしもは禁句であるが、もし彼がその後も画家としての歩みを続けることができていたら、どのような美人画を描いただろうか。はたして昭和の時代意識を鋭く反映した制作を展開できたか。そんな推測はともかくも、遺作展以来はじめてとなるこの増原宗一の作品展示がきっかけとなって、さらなる彼の代表作の出現を期待したいと強く思うのだ。 (山口大学教授) |
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