星野画廊で開催した主な展覧会─82_1

特別展 ここに人間の生の証しがある
 群 像 の 楽 し み 方

群像―非日常の世界に遊ぶ  ………………  星野万美子     

 はじめに

 今年はサッカーのワールドカップに老若男女が湧いた。スポーツ音痴の私でさえ南アフリカでの過激ぶりに圧倒され、家族と共にひとときテレビに張りついた。体力的にも差が歴然としている世界の強豪と張り合って堂々と闘う日本の活躍はとても嬉しく「やれば出来るんだ」という希望を抱かせ、最近では稀に見る爽やかさで私達を包んでくれた。
 南アフリカ(Republic of South Africa)は地理的に遠く治安がよくない上、元から日本にはあまり馴染みのない国と見えて、最初は応援に行く人達も控えめだったそうだが、私には親しく思える国のひとつである。仕事でこの国からの観光客(白人ばかりのグループ、人種差別等の複雑な国情を表しており異論を受けそうだが)を日本滞在中ずっと案内して親交したことがあり、また最近この国原産の美しい花がどんどん導入され私も育てたりしているからである。ナマクワランドに世界有数の花の名所があり是非行ってみたいと思っているのだ。そこでは3000種あまりの野生種が自生しており、8月から9月のほんの2〜3週間に一斉に咲き奇跡に近い美しさだと言われている。またケープランドはケープ植物系保護地域で、世界でそこにだけしかない植物の宝庫として有名でもある。

 そんな国への関心と同時に、サッカー観戦の群衆の凄さに唖然としたものだ。あのような人の塊とどよめきは、実際の戦争や革命、或いは人々の蜂起や一揆などを経験せずにいる私には誠に奇異で脅威にさえ思える強いエネルギーの発散と感じられた。ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock)の「鳥(The Birds,1963 米)」の映画には慄然としたが、「群れる」ことによるエネルギーの膨大は凄さと恐ろしさを実感させ、無視できない強大な力であることを証明している。
 折しも京都では、豪雨の後で申し合わせたかのように梅雨が明け、祗園祭のハイライト山鉾巡行(7月17日)が真夏の空の下賑々しく行われた。今年は土曜日と相成り晴天に恵まれて祭りの人々の歓びもひとしおだった。今年のお稚児さんは我が町内の御子で、お祝いの祭り手拭いを飾ったりして無病息災を祈願してあやかった。祭りは群れることなくして成り立たず、京都人にとっては一大事業であり結集の賜物以外の何ものでもなく、力そのものである。
 群れて大きな力となるものは古今東西の美術にもしっかり捉えられていて当然であろう。「群像」とは元は美術用語で美しい響きであるが、群れずして生きてはいけない、つまり社会なくては生きられない人の世の真実を語る重要な表現手段であるならば、美醜こもごも、内外引っ括めて描きたくなるのは画家の本分であろう。そしてそこには壮大なドラマが隠されているのである。


 「群れ」に対して「個」
 毎年自宅庭にやって来る渡り鳥のジョウビタキのことでこの冬は心を痛めた。数年間は雌のジョウビタキが来ており、今年も初めに何回か姿を見せたのだが、個(鳥)が入れ替わり雄が来るようになったと思いきや、彼女は何のトラブルも起こさずぱったり姿を消してしまったのである。ジョウビタキはテリトリーを勇ましく確保する鳥である。彼女が数年前我が家に初めて来た時には、以前に来ていた雄との激しいバトルで2年目にしてやっとテリトリーを奮取した。その守りはとても固く持ち場を離れようとはせず、夜も壁付け灯のぬくもりで過ごして糞を積もらせた。今回もそういうバトルがあるかと思いきや、全くなかったのだ。私は鳥の生態に詳しくないが、新しい雄は彼女の息子なのではないかと思っている。
 まだ幼そうなこの雄は、あろうことか庭の主人の私達にすっかりなついてしまったのだ。彼のお目当てはハナミズキの赤い実である。「クラウドナイン」という花も実も大きい豊産種が南向けに植えてあり、その樹下で花を世話するので管理が行き届き実が甘いのだろう、どの鳥も奪い合うのだ。のんびりと渡って来るジョウビタキが来る頃には在来のヒヨドリやメジロ、たまにシジュウカラにさえ先取りされていることも多い。そこで私達はジョウビタキのために実を拾い集め、また街路や公園のハナミズキの実さえも拾って冷凍保存し、冬の間少しずつ分け与えている。新鮮で甘い実ならず小さい冷凍の実でも食べ物がない冬には大いに助かるらしく、喜んで食べるのだ。
 そのうちに私が冷蔵庫から出した実を手のひらに載せて庭に出てくることを学習したとみえる。庭仕事をしていると周りの木にちょんちょんと飛び移って催促しているかのようにしつこくついて廻るので、まさかと思ったが、実をわざと見せると「ギイーッ」と大きく鳴いてほんの近くまでやって来る始末。そのうちに戸の前で待つようにまでなった。留守の時はどうしているか知らないが、帰って来た私の姿を見るや、どこからかすぐにやって来ておねだりするのだ。私は可愛くて楽しい冬になったが、野鳥をこんなに手なずけていいのかと自問自答・・・種の保存の為に必ず群れで行動することを忘れない野鳥が、それが自然の厳しい掟だろうに、こんなに個で行動し、人間に「個人的に」慣れ親しんでしまって果たして群れに戻ることができようか、との危惧・・・
 私の心配は暖かい春の陽射しとともにあっけなく青空の彼方へと消えていく。彼はその何日か前からいつもと違っていた。庭に来ても遊ぶだけである。私が名残惜しくハナミズキの冷凍の赤い実を差し出すと「ギイー」と鳴いて食べに来てくれるが、何だかお義理で食べているみたいなのだ。そして抜けるような青い空が広がった日、彼は家に来ても何故か大屋根の高さで飛び鳴き応えるのに、下の庭へどうしても降りて来ないのである・・・ それっきり全く姿を見せなくなった・・・ きっと群れに戻ったのだろう。あれは「See you!(またね)」と言いに来たのに違いない。
 秋になって時代祭(10月22日)が終わるのを合図にウグイスが一番に山から下りて庭にやって来、「チャッチャッ」と報告して廻る。それから大分してジョウビタキが高い電線で「カッカッカッ」と鳴いて「今年も来たよ」と言う。彼もきっと秋の終わり頃にやって来るだろう。その日の為に幼い彼は場所を何回も確認しに来ていたのかもしれない、と勝手な想像をしながら、「群れ」にきちんと帰って行っただろう野鳥の、自然の法則に従う意味の大きさを実感した。「群れる」ことが生き物にとってどんなに大切なことであるのか、我に返ったできごとであった。人は「群れる」意味なんてありきたり過ぎて考えなくなっている。人は「群れて」しか暮らせないのに、互いに揉み合って競い合って我が儘を言いあって対立ばかりして、ひとり(個)になりたがっていることが多い。

 ミクロとマクロの交錯
 美術における表現と他の表現手段や現象との類似には面白いものが多々あるが、今度のテーマについてはふと立ち止まらざるを得ない。言葉上では「群像」は多くの人々がそれぞれに生き生きと活躍している姿を指すとして「青春の群像」とかの使い方もされるが、もともとは「絵画や彫刻で、多くの人物の集合的構成を表現したもの」、或いは「絵画・彫刻などで、多くの人間の集団的行動を主題として描いたもの」を指し、美術の世界だけにあり得る独特の表現かもしれないからだ。
 文学に群像は存在するか。『群像』という文芸雑誌(1946年創刊、創作欄の充実を編集方針に、純文学の担い手としての声価を得る)の名にある如く、色々な文学作品を集めたもの、或いは一括りのテーマや時代で群像を形成する作品という意味での使い方はあっても、ひとつの文学作品の中に、はたして群像そのものを適切に表現し得るものなのか。文学はマクロの中のミクロ、マクロに繋がっているミクロ、或いはマクロからスタートしてもミクロを描かねばならず、あくまでミクロの追究ではないのか。たとえマクロの表現を試みたところで、ミクロを通じて見えるマクロ、ミクロに対してのマクロであって、マクロそのものから何かを見ようとはしていないのではないか。文学はマクロである普遍的な真実をミクロ的に深く追究して、それをつぶさに描いて、やがて結局マクロに繋がっていくミクロの姿や過程を暴いてこそ読んだ者を感動させる。ミクロを通して見えるマクロを理解するが、感動するのはミクロの在り方や感じ方や生き方や考え方であり、其処がうまく書けていることが大事なのだ。主観的なのである。音楽はどうか、ミクロな音の集まりで、どちらかと言うとマクロな雄大で美しい世界に導こうとするようだが、それは群像そのものではないのだ。  
 美術は他の芸術表現と共通項は多いが、美術固有の魅力を併せ持っており、文学や音楽や他の芸術もそうであるように、美術でなければならない使命を負っている。美術(工芸も)だけに可能と思える群像という表現、それは、ミクロとマクロの交錯を一目瞭然に指し示してはっと感動させる力を持っている。観れば観る程いろいろなものが見えてくる。マクロな世界かと思いきや、ズームインしてタイムスリップしていつの間にかミクロな世界に引き込まれている。極小の一点と思って面白く観ていると、それが限りなく続いて広がって知らぬ間にマクロなものへと導かれている。それ等はすべて美的に繋がって真実を伝えており、感動の渦を巻き起こすのだ。それが群像の魅力である。


 群れと群像
 群像と言えばただの群れではない筈で、テレビドキュメンタリーのヌーの凄まじい群れの迫力を大画面と大音響で見ることとは全く違うものが美術にはある筈なのだ。たとえ群れや群像を画布に巧みに描いたとして、ただの状況表現に終われば動画であるドキュメンタリーにはかなわない。
 絵画表現は小さくて無口で限りなく静かであるが、その奥にこそ宝物が光っている。実は壮大なドラマが隠されているのである。テーマを巡る歴史的事実、時代背景、社会状況、人の愛憎などを踏まえた上で、画家の自由奔放な頭を駆け巡る様々な要素がふんだんに盛り込まれているのだ。賞賛や批判もあれば、ウィットや皮肉もある。もちろん画家からの私達へのメッセージを読み解かなければならない。ミステリーをひもとくようなものである。時代を超え場所を変えても、人が何を見、何を考え何を感じていたかを深く知った時、私達は歴史の中で、長い人の営みの中で、群像の中に居る自分の幸せに浸ることができるだろう。人は決してひとりぼっちではないのだ。
 人の世は長いようでとても短い。曾祖父母、祖父母や父母の人生の少なくとも後半に接することができる私達であるが、いくらがんばっても曾孫まで含めて七世代全部見ることは稀で、我が身に置き換えてみればその儚さに誰しも愕然とするだろう。知らないことが多過ぎる。知らないまま死んでしまうことの例の多さ。膨大な可能性を持って人に生まれながら無知のまま逝く哀しさ。古今東西の先輩達が嘆いてきたことである。可能性は無限に与えられても人が日常に為せる事柄や経験出来るチャンスは非常に限られているのが常なのだ。せめて視野を広げてみたい、知りたい、感じたい、行けない世界に居てみたい、魂を奔放に遊ばせてみたい・・・それに答えてくれるものは、私達がその気にさえなればこれまた沢山あるのが有り難い。人は世代を超えて賢く智恵を受け継いでいくからである。その一例として群像の絵画はそれを満たして充分以上のものを持っている。

 寺崎武男が伝えたい壮大な歴史ドラマ
 寺崎武男(1883-1967)は、天正使節(天正遣欧少年使節、1582年にイエズス会アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案で、九州のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団)の絵をライフワークのようにして何回も力を尽くして描いたが、その重大な歴史的事実を何としても伝えたいという使命のようなものを、日本人として誇り高く感じたのだろう。私達は、使節が如何に礼儀正しく立派であったか、それ故如何に盛大に歓待されたかなどを少しは学んで知らされることはあっても、この一幅の絵画のような華麗で壮大で、その土地の風景から空や海の空気までを、人々のざわめきや歓喜までを、自分の頭の中に自ら構築して想像できたりはしない。
 寺崎だって初めはそうだっただろうが、ヴェニスを初めイタリア各地の寺院や石碑から日本では全く報じられていない天正使節の偉大な事跡を発見し(1907、明治40年)、電撃が体中を駆け巡った。日本で伝え聞く話とは似ても似つかない使節団のドラマの大きさに打ちのめされた。当時現地の人々をこんなに驚愕させて歓待された歴史的事実を日本人は全く知らない、何をしてるんだ、こんなことではいけないじゃないか、という激しい叱責の念を自らも感じとったのだろう。ヴィンチェンツァ市テアトロ・オリンピコに保存されていた「日本遣使歓迎記念図」フレスコを模写し日本に送った。その後、事跡発見で自らが感嘆した極みを、臨場感をどうしても自分の絵で伝えなくてはならない、そのめくるめく興奮の渦を、群像を、日本の空気の中ではどうしても見つからないような色彩で以て、華やかに堂々と描き続けた。描いても描いてもまだ足りない一大事業であった。まるで取り憑かれたようであったろう。
 寺崎のことを知る人は非常に少ない。今ではテレビ番組等で当たり前のように耳慣れた「フレスコ画」を日本に紹介した人であるにも拘らずそのことは知られていない。イタリアを中心に海外で活動した寺崎は美術の先進画技法(エッチングなど)を日本に伝えた功績大の人であり、それは彼にとって思惑どおりであったかも知れないが、彼自身のことや彼の描いた素晴らしい絵や努力はすっかり忘れられてしまっている。
 寺崎のふたつの「群像」は、画家の体を走って濾過された清新な息吹を迫るように生き生きと伝えてくる。おかげで私達は遠い昔に思いを馳せて魂を自由に泳がせてみることだってできるのである。それは歴史的事実を単に他人事のように知ることではなく、その場に居たかのような感動を味わうことであり、魂を揺さぶりながら人類の作業に時を越えて加わることでもあり、小さな一点に過ぎないミクロな私達が時と空間を越えてマクロな宇宙的な世界にまで繋がっていると感じることであり、そういうことが私達の人生を豊かにしてくれるだろう。寺崎武男は、「自らの『芸術宣言』(1917、大正6年)の中で、『画家は自由なる宇宙(マクロコスモス)の生を得て生存する人間である。しかるに画家はそれ自身小宇宙(ミクロコスモス)でなければいけない。』『あらゆる旧思想と旧状を打破し、一変して新芸術的状態を構成せむとす』と述べ・・・<寺崎武男の世界―2003(平成15)年館山市立博物館―展図録,『日本近代絵画の先駆者寺崎武男』寺崎裕則著>より抜粋」と述べている。

 野長瀬晩花と群れる人の真実
 今回初めてお目見えする野長瀬晩花(1889-1964)の「戦へる人」、もの凄い作品が世に出てきたものだ。甲斐庄楠音の「畜生塚」に負けずとも劣らず、双璧をなすべき、或いはそれ以上の力作と誰しもが認める重要作品であることは間違いないだろう。実にepoch-making(新時代を切り開く)、美術史を塗り替えるべき作品が登場したものである。
 何が凄いのか。それは大正の日本画の新しい動きを象徴する、実に画期的な作品であることなのだ。画家の燃えたぎる命がそのまま画布に移されている。あの時代に、この題材、である。まさに「群像」の凄さと恐ろしさと真実をあらわに力強く表現した最たるものと言えるだろう。
 それまでの日本画にこのような「群像」の内と外そのもの、エネルギーの塊そのものを描いたものがあったか。題材といい手法といい、特にその精神性は誠に斬新でその時代の日本画の枠を荒々しく打ち砕くものである。人がひとりでは決して成り得ない、あり得ない姿をこれほどあからさまに写して真実を暴こうとした絵画が、それまでにあったか。群衆であることから特殊な心理が生まれるとされるが、それを表してそれ以上の群衆の肉体と精神の絡み合いを見事に表現している。そこにはてらいや装飾は一切なく、真実がただ横たわっているだけである。真実は美である。「人間相撃つ争闘の美観に、異常な興奮は燃えて表現の衝動が沸き返って来た晩花君は・・・」(中井宗太郎が『国画創作協会の人々と関西画壇』でこの時の状況を述べている)とあるように、晩花はたまたま夜の街で出会った喧嘩騒動の群れの中に人の真実と美を見つけ、取り憑かれてこの絵を描いた。それまでの日本画では表現の試みさえされなかった全く新境地の新手法の画期的な絵画と言える。

 人に向き合う力 
 核家族化がなおも進んでいる現在、その上に少子化が拍車をかけて、本来備わっていた筈の人が人に向き合う力が喪失されているという。お爺さんお婆さんの暮らしを知らない子や赤ちゃんを抱いたこともない子がそのまま大人になっている。向かうはパソコン、携帯、ゲームばかりで、それ等で人とのコミュニケーションは充分とれるし淋しくもないと思っている人は多い。群れることに伴う煩わしさを嫌い、群れであるからこその恩恵さえをも認知せずして勝手気ままを通している人も多い。「人に向き合う力」とわざわざ問題にしなければならないほど、人との関わりを避けて暮らすことが可能な時代になってしまった。本人にそれでいいのだと言われてしまえばそれまでだが、それでは豊かな人間性、或いは高尚な考え方や生き方は生まれてこず、その人はおろか人間社会全体がまともな発展を遂げることはないだろう。
 先人が遺した悲喜こもごもの「群像」に触れたい。描かれた人間のとてつもない可能性に触発されたい。一目瞭然、これが絵画の良さである。静かだが語り続けているのだ。いつでも問答してみたらいい。きっと知らなかったものが見えてくる筈だ。「群像」は美しい。争っていても、憎しみあっていても、敵味方を越えたもっと先にあるものを表現しているからなのだ。晩花の「戦へる人」の中に、それぞれがそれぞれに似通って美しく素晴らしい肉体と精神を授けられ、もつれ合う中に交錯する魂が触れ合う歓びに打ち震えていること、つまり生きている歓びを表現していることが読みとれてくるだろう。「群像」は人のいろいろな生きざまを表現しているばかりではなく、生きている歓喜を伝えて止まないものなのだ。
 「人に向き合う力」は先人に習えば自然についてくるものであろう。「群像」の絵画に触れて、時空を越えた普遍的なマクロに繋がっているミクロな自分を感じるも良し、短い人生では経験できない非日常の、でも真実の、そして美しい世界に遊んでみてはどうだろう。
2010(平成22)年8月  

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