星野画廊で開催した主な展覧会─83_1
クレーですか? ミロですか? いいえ ジュヘイです!
心象の吟遊詩人要 樹平 遺作展
忘れられた画家シリーズ33

要樹平―空気を描いて(くう)を見て・・・・・星野万美子     

 はじめに

 「クレーですか?ミロですか?いいえ、ジュヘイです!」……こう投げかけたら今や故人になってしまった樹平はどう応えただろうか。私たちの問いかけに、ちょっと立ち入った質問であっても、いつも余裕の笑顔が返ってきた。その笑顔を見るとほっとして何でも話したくなるような、春の陽射しに包まれたような雰囲気になる。「温厚な」というのが誰もが感じる樹平の人柄であった。でも私はその笑顔には奥があり謎が隠されているのをそれ以上に感じたのである。こと芸術に関わることならば、一言も聞き漏らさず並々ならぬ熱情で受け止める芸術家だった。年を重ねてからの画家にしか会っていないが、決して饒舌ではないのが見てとれた。心ならずも口ごもってしまう分、その両眼は時に鋭くなり、数少ない凝縮された言葉の端々から胸に秘めた熱い思いが切々と伝わってくる。温厚な笑顔の裏に言葉にならないことばを忍ばせていることを強烈に感じさせた。 
 「クレーですか?ミロですか?いいえ、ジュヘイです!」……樹平なら大いに喜び、言葉にならないことばが頭の中で生き返り芸術家魂が噴出しただろう。巷で文人風と評される樹平の内なる熱情は、大空を駆けぬ空(くう)の世界へ飛翔しようとしたにちがいない。

 響き合う共感

 人の頭をよぎりそこに巣食うものには、時や場を越え人種をも越えて少なからず共通性がある、と大抵の人が経験で知っている。その共通性ゆえ一緒に暮らし、競争し、衝突も紛争も起こしながら、尚かつ仲良くなり共に仕事をしたり群れたり遊んだりしている。良くも悪くも、外見上だけでなく頭の中まで私たちは似ているのだ。
 自分達の実生活に直結している事柄ならいざ知らず、心で感じることなんぞ、たとえ共通性があろうがなかろうがかまってる暇なんかない。それが、忙しく目まぐるしく、何かに常に追われて暮らしている私たちの実情かもしれない。または、私たちは似ているがゆえ実生活を共有できているが、その反動で心の中まで見透かされたくない作用が働いてか、互いに深く追究せず、共に感じ合うことを極力避けているのかもしれない。
 そんな素直ではない私たちに助け舟を出し、心を豊かに導いてくれるのが、絵であり書であり詩であり音楽なのだろう。美しいものに飽くなく惹かれる私たちの共通性が、観る人と観る人、創る人と観る人、創る人と創る人を高尚なかたちで結びつける。互いが持っている共感が響き合う瞬間だ。ヴァシリー・カンディンスキー(Vassily Kandinsky 1886-1944 モスクワ生まれ)は「人間はみな、芸術を通してときに結びつけられる内的および外的現実体験を持っている」と言っている。樹平の作品からクレーやミロを思い起こすのは決して不思議なことではないのだ。
 見えないものが見えてくる不思議

 樹平は1906年(明39大阪)生まれだから、パウル・クレー(Paul Klee 1879-1940 スイス・ベルン近郊生まれ)の27歳、ジョアン・ミロ(Joan Miro 1893-1985 スペイン・バルセロナ生まれ)の13歳、年下である。クレーとミロはピカソ(Pablo Picasso 1881-1973 スペイン・マラガ生まれ)を筆頭に20世紀第一級の前衛画家だ。彼らは、時代は少々前後するが、20世紀前半の世界的激動の時代を生き、今の私たちには考えられない厳しくてつらい社会状況に置かれていたことを念頭に入れておかねばならない。戦争の影響を受けながら試行錯誤しつつ逞しく芸術活動に一生を捧げ、生きた時代と風潮を確と内包しつつ、それまでにはない自分達だけの芸術を産み出した巨匠である。
 そのあまり違わない時代に、東方で、古くから西洋とは全く異なった独特の文化を積み上げて来た島国で、延々と長い歴史のるつぼの京都に於いて、日本が世界中の混沌と戦争の中に泳ぎ出して行った時代に生き、飄々(ひょうひょう)と自らの芸術を追究して止まなかった画家、それが樹平である。ミロも樹平も貴金属商の家に生まれたのはもちろん偶然の一致だが、見つめていた世界が互いに似ているのが何だかおもしろい。またクレーはベルン音楽協会のヴァイオリン奏者でもあったが、樹平もヴァイオリンを嗜む音楽好きで、画家である以外にも共通点があるのは興味深い。
 生家が兄ふたり南画家である美術一家でもあった樹平は、京都で日本画を学び京都で生涯を送った。終生伝統的な要素の溢れた環境にありながら、戦争に明け暮れ混迷から繁栄の道を見出した混沌の時代を生きてきた。それ故なのか、初めの写実的な絵から抜け出し、そういう環境と時代を背負いながら敢てそれを超越した処だけを見つめ続けた日本画家である。

 樹平はいったい何を見ていたのだろう。空気なのだろうか、その向こうの彼岸なのか空(くう)の境地なのか……京都市美術工芸学校卒業制作である<兵営附近>(第4回国画創作協会展[大正13]入選作)には、既に伝統的な日本画に終わらないモダンで新鮮な要素が見え隠れしている。確かに、当時大正の息吹の中でそういうことを模索した画家は多いが、土田麦僊が樹平の絵に目を留め国展出品に誘ったことで分かるように、何か個性的な優れた感覚を持っていた。その感覚が発揮されるのはその後であるが、樹平は元より備わったリベラルで詩的で音楽的な素質を生涯大切にしながら、自分の心の中を吟遊したと言えるだろう。その作品は何故か西洋の前衛画家のクレーやミロと似ている。
 共通しているのは、彼等の描いた色彩や形態と線が、現実には見えないものが見えてくる不思議を創り出すことであろう。そこには自ずとどこにもない独自の世界が存在してしまう。観る者はその世界の多種多様と無限の広がり、時にその奇妙奇天烈に驚かされはっとする。何かが触発され、想像の力が呼び起こされる。後に残るのは知る歓びと新鮮な美しさのいろいろであろう。画家の側から言えば、彼等は絵が語る可能性にとことんこだわった。どんなに暗くて混沌とした中からも、その向こうの永遠に繋がっている明るく温かい処へ導こうとした。線を引き形態を招き色を置くことで創り出す世界は、無限大で美しく雄弁であることを実践したのである。
 さらにクレーとミロと樹平の絵画が私たちを惹きつけるものに、整然たる計算されたバランスの美しさがあるだろう。要るものしかそこになく、要らないものは何ひとつ残っていない。安心して信頼して絵の中に飛び込んで行ける。そして「芸術作品は内側から鑑賞者に語りかけ、見るものはその声を聞く」(カンディンスキー『芸術における精神的なもの』)ことができるのだ。
 お米と和紙の白色

 私たちの国土は約三分の二が山林で、平地に都市ができ人が集中して暮らしているが、道路や車が発達して以前に比べて格段に便利になったと思いきや、都市集中の傾向が加速し反対に山村の過疎化が進んでいるという。一方で自然豊かな山村や里山が、自然回帰に興味を持つ人達に最近徐々に見直されているのは救いである。私も暇を見つけては出かけ、自然に癒され、その恵みを買い込んでくるのが習慣になった。米・野菜・果物ばかりではなく、最近は気になっている米製品を見つけたら買うことにしている。米が余っているのに国策で輸入せねばならず、美味しくて安全だけれども輸入米より値が高く、またご飯を食べることが減ったからなのか、日本の米が需要を減らし酷い目にあっているからだ。
 古来日本人の主食で神聖で立派なお米を米粉にしてしまってはもったいないという考え方も分かるが、世界情勢と食事情が変わった現況でそんなことばかり言っていられない。米を多種多様に見事に利用して食べるヴェトナムを早く見習わなければならない。米は美味しいだけでなく栄養的にも非常に優秀な食べ物で、小麦粉に取って代われる実力は万全なのに、ご飯で食べる以外の利用法が日本では未発達である。私の経験では、米粉パン、米粉麺、米粉ケーキなどすべて合格でとても美味しい。最近米粉ならず米を投入したらパンができ上がるという家庭用パン焼き器が売り出され、たちまち人気が沸騰して製造が追いつかないニュースに接し、我が意を強くした。 
 不安で泣き叫んでいる子供に炊きたてのご飯を与えたら不思議に安心するとか、歳を重ねるとご飯が何より美味しいとか、松井やイチローがおにぎりを力の基にしているとか聞く。私もご飯ほど美味しいものはないと思うし、日本人の癒しであるお米の底力を感じている。
 私たちは和紙に描かれた日本画に親しんできたが、その和紙の見た目の温かい自然の乳白色とも言える白色に、お米とご飯の白さと同じ安堵のようなものを感じるのは私だけだろうか。それは真っ白でなく透ける白でなく、質感のあるぬくもりのある白なのだ。紙(和紙)が襖や障子などの建築物に多用されるのは世界的に見ても珍しいのに私たちの生活空間として当たり前だし、お米を主食にしてきた日本人にとっては、その和紙の白も、お米を炊いただけで食するお米の白も安心して落ち着ける色なのかもしれない。

 樹平と和紙と白

 樹平は若い頃から絹本も用いたが紙本に惹かれており、その後はもっぱら紙に描くことが多かった。和紙の自然で素朴な白い温かさを生かすような美しい画面を心掛けた。塗りたくっても、和紙そのものが持つ質感を邪魔しない色彩の施し方が樹平独自である。後半生に文字を取り入れてからは、和紙そのものの持つ余白の白を特に大切にした。それは彼の芸術にとって極めて重要なのである。
 写実からどうしても抜け出したかった樹平は、生前京都新聞の取材に応じ「抽象を求めているうちに書を意識するようになった」と遠慮がちに語っているが、彼の頭の中では書が書に終わっていないのだ。書は線でもあり詩であり絵なのであり、温かくて白い和紙の風合いを生かした空間を含めて、樹平のことばを語るものなのだ。 
 古来日本画で大切にしてきた「余白」を追究したのは、南画家の兄を持ち日本画家である樹平が自然に持ち合わせた本分でもあっただろう。「余白」という言葉が白で表されるように、また神聖なるものが白の清らかさで表されるように、白は意味深い色である。樹平はその白が持つ魔力に取り憑かれたか、彩色を施しながらも、元来の和紙がもたらす意味深い白とその風合いを生かそうとした。彩色のもやの向こうに感じられる白くて温かい空間である。
 典雅な味わいを出す絹本や、シャープで冷たい洋紙や、ざっくり荒い麻にはない、温かい素朴な質感のある和紙にこそ、樹平のことばを語ることができたのだろう。草むらの細い墨の線で覆い尽くされた画面の向こうに、月見草が咲いてる夜空の奥に、猫の髭の先に、ポピーの叢の隙間に、字の筆払いの先に、太い木の幹が立つ空に、墨の塊のその背後に、意図的に残された空白が奥の温かい広がりへ私たちを誘うのだ。 麻や紙の支持体そのものの素材感を自分の絵の表現に生かそうと試みた画家は他にもいる。浅井忠(1856-1907)はその比類のない巧みな水彩画で、紙の部分を塗らずに残したり強調のためには引っ掻いたりして白い紙の持つ味わいを残そうとした。セザンヌ(Paul C?zanne 1839-1906)は西洋の発想からは珍しく、キャンバスの地肌をわざわざ塗らずに残して効果を出している。白い和紙に魅せられその力を最大限生かそうとした樹平は、凄いことに挑戦を試みていたのだ。
 長い歴史を通じて日本人の食を充足させてきたお米の重みのある乳白色を意識しながら、和紙の素朴な質感に込められた樹平の意図された空間に漂ってみたいと思う。懐かしみのある、慈しみ深い日本人の血が永々と流れているような安心が感じられるだろう。樹平が描いた空気とその向こうの空(くう)誘われてみたいのだ。

 樹平夫妻
 25年前に当画廊で個展を催した時も、樹平の遠い親戚が所有する下鴨の和風別邸で開かれた展覧会でも、私は夫妻の熱過ぎる歓待ぶりには驚かされた。その熱さは同じような年代の私の祖父母や母や親戚の人達と共通するところがあり、同胞の親しさに心和む安らかさに包まれる。が、その熱さは作品に触れ始めると燃え上がるのである。
 夫妻の芸術に対する思い入れは相当なもので、淡々と見える作品からは想いもよらないものであった。自分の芸術を、そして妻は夫の芸術をどれほど愛しているか、どうぞよくよく観てね、きっと解る、きっとその言わんとすることが伝わるでしょ、と口では言わないが激しい熱意がとうとうと溢れ出すのだ。熱さを秘めつつ飄々としている夫と、一生懸命という言葉がぴったりの妻知子(アイ)は、クレーと画家の夫に寄り添って自分も芸術と一体化していた、ピアニストでもあった妻リリーのようだなと感じたものである。その熱さは終生続き、その後いつ会っても変わらなかった。単純化された線と色で描けば描くほど抽象化していく難解な世界に浸る夫と、それを理解してもらうことに骨を砕いた妻の献身ととることもできようが、私には芸術の深淵を見た者の美しく幸福な姿だと映った。
 上賀茂でぐるりと庭に囲まれた文人風の瀟洒な家に住んでいたふたりは、今どき滅多にお目にかからない雲の上の仙人の暮らし方だった。夫妻の庭は雑木林を小さく再現したような、いつも自然の真ただ中にいるような、しかも手入れが行き届いて、四季が優しくうつろう素晴らしい日本風のナチュラルガーデンだった。
 似て非なるもの
 ミロはクレーの影響を受けたとされてはいるがふたつの芸術は似ているようで違っている。クレーはナチスの政治的な圧迫などを受けつつ持病と闘いながらも、若い頃始めた音楽や詩ではなく美術の世界で芸術を仕上げていった。ミロの作品には、ガウディやダリも生まれた故郷カタルーニャ地方のどこか乾いた土とダダイズム的な匂いが感じられ、クレーの無秩序の中の秩序というべき端正さとは温度差のようなものが感じられる。気分で言うなら掻き立てられるものと鎮められていくものだろうか。誘われる世界は違えど甲乙つけ難い印象の強さだ。
 樹平は、クレーとミロが違っていることとは全く別の方法で、いわばとても東洋的なものの見方をしていたと言えるのではないだろうか。永々と日本人が培い伝えてきた良きもの・美しきものを大切に胸に抱え、ダークレッドのセーターがよく似合い、立ち居振る舞いは紳士そのもののダンディだった。洋装の文人画家風とでも言えようか。漢籍をひもとき、書を追究し、文人風に暮らした日本画家・要樹平は、ヴァイオリンを弾き西洋のうねり迫る新しい波を見つめながら、東洋的で仏教的な発想の空(くう)を自分に取り込み、えも言われぬ心象を抱きながら吟遊したのである。そして空(くう)には西洋も東洋もないことを知ったのだろうか。樹平の猫は肉体を持っていないし、草花はイラスト的で実体感がなく、ザクロに至っては人間化してしまっているが、美しく存在するそれ等が創り出す世界とその意味、或いはそれ等の間を吟遊した樹平の心象こそが表現の主題になっている。
 クレーに似てミロに似て、さに非ず、それは樹平が打ち立てた誰にも真似できない独自の芸術の世界である。「クレーですか?ミロですか?いいえ、ジュヘイです」は全くその通りなのだ。似て非なるものなのだ。
 
2011(平成23)年3月  

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