「孚鮮陶人/新井謹也展」後記


































 久方振りの「忘れられた画家シリーズ」で取り上げる洋画家・荒井謹也ではあるが、実のところ彼の作家としての活動は、陶芸家・荒井孚鮮としての期間の方が数倍の長さになるのである。その意味で言えばこのシリーズの枠外の人のようであるが、私にとって荒井謹也との接点は、あくまでも浅井忠門下生としての彼の洋画家時代にあった。つまり、明治43〜44年の京都に於ける絵画革新運動である「黒猫会」や「仮面会」の主要メンバーの一人であった彼を捉える視点は、田中善之助や秦テルヲを追い求めるのと同じ処にあったのである。ところが荒井謹也はどういう訳か、大正9年に洋画壇と訣別して孚鮮陶画房を開設し、以後陶芸家としての道を歩むことになる。当然のことながら洋画家としての彼の遺作蒐集は困難を極め、今日に至るまでに私に視界に入った油絵は僅か10点に満たない。

 その没後、洋画家としての荒井謹也が関西美術院や浅井忠との関係で取扱われることはあっても、陶芸家の荒井孚鮮が話題を呼ぶことは殆んど無かった。昭和初期の「耀々会」(大正期の陶芸作家による革新的な団体赤土社の後続的な陶芸グループ)や「辛未会」主要作家であったことや、宮本憲吉も一時好んで制作した孚鮮窯の呉須絵の魅力のこと、そして彫刻家・辻普堂がその人柄に心酔して愛用した孚鮮作茶碗の素晴らしさのことなども、今日まで極くささやかに一部の人の間で知られているだけだった。

 15年の歳月を費して本展の為に蒐集した油絵・水彩8点、陶芸35点、軸装の書画20点は、荒井謹也の全生涯を語るには到底充分とは言えないにしても、その芸術的価値を再認識する端緒にでもなれば、という私のささやかな願いはかなえてくれるものと思う。

星野桂三・星野万美子

































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