「鳥毛将宏/詩画集・月の詩」展 図録










































 「あの若い画家はどうしていますか、また描いていますか。ああいう風に色々な画家のスタイルを次から次ぎへと吸収していく人は近頃珍しい。これは非常に重要なことなのです、吸い尽くした後できっとすごい絵を描くようになりますよ。私は楽しみにしています。」

 日本美術史の中で中世を専門にして著名な学者の一人である某先生から大変嬉しい言葉を頂いた。鳥毛将宏の絵を物真似だ、他の画家から影響を受け過ぎる、など批判なさる人もいる中で、このように私達と同じ見方をされる方もいる。あの若いのが次はどんな展開を見せるのかと、私達と同様の期待を持って鳥下将宏の画作を見守って下さる方々も大勢いる。

 さてそういう応援団の方々でも「詩画集・月の詩」展とした今年の図録を一覧なさり、その変貌ぶりに相当驚かれるのではなろうか。去年の「意識の向こう側」を主題とした一連の作品は、闇に差す一条の光が悩む人々を救うかのように次第に光量を増し、ある時は眩いばかりに人を包み込むかと思えば、奔流のように人を押し流す荒々しい変化をも見せて、画家の新境地を我々に期待させたものだった。

 年が明けて鳥毛将宏はまた新しい境地への展開を「月の詩」と題したシリーズ名で描き出した。以前より彼の心に生きづいてきた仏教的な輪廻転生の考えを、現実の月の満ち欠けを自身の画面に取り入れることから発展させたのである。外側から渦巻く流れのように画家を弄(もてあそ)んだ光は、ここでは一転して視神経の裏側からそして内耳の奥からの挑発者としての役目を果たしている。時には眩暈(めまい)、幻覚、幻聴をも画家に仕掛ける妖しい月の光なのである。月夜に彷徨する画家の魂は画面の中だけのものなのか、それとも現実なのであろうか。

 ターナーの描いた快い光はもはや鳥毛の絵にはない。その画風は一挙に未来派や立体派の様式を取り入れたものとなった。120号から0号まで実に多彩な画面で展開される画家の魂の悩みを、ねじれを、彷徨を、解放を、そして救いを、鳥毛将宏自身の詩と共に見て頂きたい。よくもここまで描けるようになったと私達は思っている。

星野桂三・星野万美子










































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