特別展「日本の四季・日本の心」後記

























































 年のせいか近頃季節の移ろいが滅法気になる。ところがやれバイオだ、水耕栽培だ、冷凍技術の発達だとかで、食卓に乗る食べ物からは急速に季節感が希薄になっている。本来は今が旬ということで、なるほど旬の味と喜べたものが、年がら年中そこらに見かけるようになると有り難みが薄れてしまう。もう今ではナツメロとなってしまった千昌夫の「北国の春」に「季節が都会ではわからないだろうと届いたおふくろの小さな荷物・・・」とある。あれから季節はマッハ10くらいのスピードで飛び去っている。平均寿命から見て残りの人生の方が短くなってきたばかりの自分たちでさえそう思うのだから、人生の風雪に耐えて晩年を過ごされているご年輩の方々の思いは如何ばかりだろう。ところがこんな時代であっても、不思議なことに自然は老若男女に区別なく平等にやって来るから有り難い。あとはそれを感ずる心がそれぞれにあるか否である。

 昔は美術のシーズンは春と秋に何故か決まっていた。それが近頃では年がら年中どこもかも展覧会だらけで困ってしまう。国公立を問わず国中の美術館や博物館が、これでもかこれでもかと展覧会を開催する。それに輪をかけて百貨店を舞台とした客寄せのための展覧会が1、2週間単位で目まぐるしく催される。これまでならボストンやルーブルといった世界の一流美術館の所蔵品による名作展と称するものであったが、あまり知られていない美術館・博物館の所蔵品を優劣を問わずまるごと借り出す名作展になってきている。今年目につくのが中国とロシアよりの招来展である。明、清、スキタイ、オルドス・・・これらが僅かな期間にほとんど同時進行の形で開催されるのだからアジア美術の愛好家でもたまったものではない。想像するに、これまで展覧会の主流であった印象派を中心とした海外名作展の開催が、ここ数年の世界的なバブル美術価格により急上昇した損害保険料の問題もあってペイしなくなったのだろう。一斉に頭を振り向けたのが外貨獲得に血まなこになっている地域からの招来となったのではないか。日中国交20周年とは口実、人間思いつくのは皆同じということでこの状況の説明がつくと思うのだがどうだろうか。昔は(また言ってしまった)飢えたように海外からの招来品を待ち望んだものだ。展覧会が多すぎる、何とかならないだろうか。

 そんなことを言いながら自分自身で展覧会を企画する矛盾にはとうに気がついている。この不景気な時節には、ジタバタせずに死んだふりをして景気の回復を待つに限る。しかしそれでは、そこらのバブルに煽られた画廊と同じではないか。この時期、私達は元気ですよとのろしを上げる。そんなことも必要ではないかと思う。もともと私達の画廊では、折々の季節感溢れた作品を壁面の半分以上を割いて展示している。春には春の、秋には秋の季節感のある絵画がお客様を迎える。これとても難点がある。秋に来られたお客様には冬や春を主題とした絵を見ていただくことが少ない。四六時中店番をしている方が半ば楽しみながら季節の絵を取り替えているのを、今回は1月から12月まで各月、洋画と日本画の名作を1点づつ、合計24点を私達のコレクションから選び出してみた。普段は滅多に並べない佳品の数々と自負している。図録も少し凝ってカレンダー仕立てとした。1993(平成5)年中御手許において楽しんで頂ければ幸いである。

星野桂三・星野万美子

























































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