「鳥毛将宏1992/1993展」


























































 2年ぶり第6回目の鳥毛将宏個展である。前回展を1991年12月作の大作(80号S)「月下の二人(不安な運命)」で締め括った画家は、いつものように自分を見つめ直すことで新年を迎えようとしていた。そこには甘美なまでの自己陶酔(「ナルシスの復活」P.2)を伴ったある種の不安がよぎったに違いない。不安を取り除くためにはしばらく筆を持たぬほがよいと考えついた(「筆を持たぬ自画像」P.3)としても、彼にとって辛抱は長く続かなかったようである。表現上の細かい色使いや技法でウロウロとしたあげく「ダンス」(P.5)あたりで光明を見い出したようだ。「さてもこの二人の運命やいかに」(P.9)の大作が持ち込まれた時、思わず「出来たね」という言葉が私たちの口から漏れた。さあ、この調子で頑張って頂戴と画家を送りだしてからの時間が長かった。ムンク調の構成や色使いが強調されるのはまだしも、いつもの悪い癖でマチエールや小手先の筆捌きを種々トライアルしてしまったから、画廊に持ち込んだ新作が次々と私たちの厳しい拒絶にあってしまったのである。拒絶する私たちも苦しかったが、褒められた作品に安住しマンネリに陥らないようにと画家がとった試行錯誤の方法が冷たい仕打ちにあってしまったのであるから、画家自身はもっと大変であったろうと思う。私たちは、あなたはマンネリになるほど描いたのか、もっと繰り返し描かなければいけない、もっと突きすすめていってほしい、と要求したのである。

 ご存じのように画家と画商との関係は難しいものである。画家も画商も作品が売れるにこしたことはない。しかし両方ともただ売れるだけでは困ると思い、何か後世に遺るものができないかと思う。じゃあ売れるものが後世に遺らなくて売れないものが遺るのかというと、そうとばかりは限らない。また世間では一般に分かりやすい画風の絵を売り絵であると馬鹿にする傾向がある。現代作家を標榜する人たちや現代美術を擁護する評論家の先生方にその傾向が強い。気の弱い作家たちは弁舌のたつそういう人々に惑わされてしまう。画家たちは本当に描きたいものは何であるのか自身に問いかけねばならない、それがたまたま多くの人々の共感を得たとき初めて後世に遺る可能性が出て来るようになる、と私たちは理解している。もちろんここで留意しておきたいのは、過去その時代に認められなかった幾多の画家と作品が長い年月を経て今日認識されてきているという事実である。情報や世界自体が狭く限られていた時代にはそういうことも多くあったに違いない。しかしこの情報氾濫の現代では埋もれること自体難しいのかも知れない。そうは言っても才能は放っておいては花開かない。とりわけ画商としては一人の才能を埋もれたままにしておいてはいけないと思うし、一般の人々よりアンテナを鋭敏にして対処しなければならないと思う。当座は理解されなくてもやがてはその真価が理解されるように、画家と一般の人々との間にあって努力しなければならない。

 このような考えから私たちは一人の画家、鳥毛将宏と付かず離れず接してきたつもりである。スランプを抜け出すのに1年もの時間が必要であったのか、「アトリエの月」(P.25)以後どうやら画家は調子を取り戻して、最近の「夕暮れの公園」連作ではひと皮むけた境地を見せている。いつものように、この展覧会図録では作品を単純に制作順で並べている。これは青年画家・鳥毛将宏の2年間にわたる苦闘の証でもある。

星野桂三・星野万美子


























































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