「戦後絵画20年の軌跡〜拾遺編〜」展 後記

































 また星野が変てこなことを始めたな、一体これはなんじゃいなーと驚かれる方がさぞや多いことであろう、この展覧会、不景気でものが売れない時だからこそ一見売れそうもない難しい絵を並べる、それがひねくれ画廊の面目。そのように理解してください。今年の企画展は「日本画の名作に見る−女性たちの情景」と「水彩画の黄金時代」の2本だけのつもりだった。ところがはっと気がつけば今年は戦後50年の節目の年に当たる。ちょうど以前より頭に描いてきた戦後美術のコレクションが或る程度他人様にお見せできる点数になっていたこともあり、急遽7月より展覧会の準備をしてきた。何年も前このような展覧会を意図した当初は彫刻作品なども含めたものを目論んでいたのだが、所有していた八木一夫の陶彫や植木茂の木彫などを早くに手放してしまったこともあり、今回は絵画作品のみで戦後20年の動向を回顧しようと思ったのである。

 本来なら最初に美術史があり、戦後のエポックとなった出来事や展覧会、そして美術運動の主要グループをお列挙して関連した作家や作品を選抜していくところなのだが、それは権威ある美術館の仕事になるはずのもの。画廊主である私たちは最初に作品との出会いがあり、それを少しずつ消化蓄積して世に問うのが筋と思っている。これまで遭遇した作品は常に画商の経験と直感というフィルターを通して選別してきた。今回に限らず私たちの企画する展覧会は、出品作であれば何でもよいという美術館とは違い、小品でも質の高いものを拾い上げるので作品の大きさもいろいろ、作家は名声や経歴にこだわらず物故から現在まで広範囲に渡っている。だからある種の雑然としたものとなるかも知れないが、それは守備範囲の広いコレクターで画商という私たちの眼力の証明でもあるのだから、ご理解を頂きたい。本展の「戦後絵画20年の軌跡」に〜拾遺篇〜をつけたのも画廊という限界を承知してのことである。


































































 戦後の再出発の筆頭の作品にはどうしても北脇昇の「秋の驚異」に登場してもらいたかった。一面焼け野原となり荒れ果てた日本の国土、そこにしっかりと大地を踏み締めて立つ一本の木。枝も葉ももぎ取られた姿は戦後復興の未来を予感させる力強い人間の姿とダブる。本図録ではその後しばらく人間を直視した作品が続く。画家たちは問う、戦中抑圧されてきた人間の本来の姿とは……、そして人生とは……、そのような画家たちの悩みや想いが素晴らしい絵画作品となって戦後続々と生まれてきたのである。次に画家たちの眼は自分たちの周囲の風景に挑戦していく。そこにはかっての絵画常套の手法や描き方から解放された喜びがあった。やがてそれが燃える魂の表現ともいうべき熱い抽象の世界へと突き進んでいくのは、もはや必然であったと思われる。

 このように見ていくと一見難しそうに見える抽象もちょっとは身近に感じて頂けるのではないのだろうか。どの作品にも私たちが共感できる“心”が共通項としてあり、それらを理解するのは理屈ではなく感覚であると思う。ただそこ感覚を養うために数多くの作品に接しなければならないし、そこにこそ私たち画廊主の使命があると思う。多くの場合画家たちは寡黙であり作品を通して訴えようとする。饒舌からは空虚な作品しか生まれてこない。ときには画家たちの思惑とは違った受け取り方をされてしまうかも知れないが、それでも良い。自由に描かれたものは自由に観賞される運命にある。ただそこには少しの指針と適当な場というものが用意されて然るべきなのだ。画廊や美術館の展覧会はそういう場を提供するに過ぎないが、企画者のある意図なり思いなりが反映されるはずのものである。私たちの今度の展覧会に用意した作品は、必ずしもそれぞれの作者の代表作を選抜したものではないが、年月を経て光り輝いている。たとえ彼等がその後どのような作風に変容したとしても、“この1点”という意味では見応えがあると自負している。

星野桂三・星野万美子



































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