「明治絵画拾遺選」展 後記




































 この春から円安が続き、ついには1ドルが140円代で取り引きされることもあった。小口投資家は、外貨建ての預金や債権がお得という話しに煽られていた。バブル後の不良債権が軒並み外国銀行や投資家に買われていく。大手証券会社が外国資本に買収されて看板が書き換えられた。日本の小金持の財産がこうした外国資本の手に奪われていく。週刊誌などでは不安を煽る記事の後で、何がお得な投資か、なんて特集記事が氾濫する。こうした典型的なマッチポンプは、昔々の絵画暴騰の頃にも見受けられた。まんまと乗せられた大衆は、相場の頂点でババをつかまされた。同じ轍を踏むことになるのに、と白々とした気持ちで新聞や週刊誌を読む私たちは、いつもアウトサイダー。

 先行き不透明なニューヨークの株式市場は、クリントン不倫疑惑ににも拘わらず、どうやらこうやら一定の水準を保ちつつあるように見えた。しかしここに来て(10月9日)突然の円高である。米国の景気にかげりが見え始めたとかで、ヘッジファンドと呼ばれる投機資本がどっと移動を始めたのである。ここ数日で1ドルが20円近く下がり、115円代の取り引きという急変。こんなべらぼうな事は全くもって異常である。国内株式市場も700〜800円の上げ下げを一日交代で繰り返す有り様。テレビニュースで流れるディーラーたちの眼が、秒単位、分単位で交差する取り引きに血走っている。そらそうだ、日本の国家予算に匹敵する金額が瞬時に地球上を移動する時代である。

 あー、いやだ、いやだ。何故このように時間がせわしくなってしまったのだろうか。1日が昔の1日ではない。時間の観念を忘れてしまいたい。チャップリンの映画のように歯車とベルトコンベアーの異常回転に巻き込まれてしまいそうな世界とは、もうおさらばだ。美術の世界に生きる住人のひとりとして呼びかけたい。混沌の現在を忘れ、ひととき、100年も前の明治という夢の時代に遊んでみませんか、と。











































































 平成10年の今日1998年、明治が終わった年に生まれた人でも既に76歳になっている。人間の生命はまったくはかないことを実感する。けれども人間が創り出した美術作品は、明治から大正、昭和、そして平成へと、いくつかの戦争を乗り越え、所有者を転々としながらも世に復活する機会を窺ってきたのである。これまで世に紹介される機会が無く、どこかでひっそりと暮らしてきた作品と作者に、本展を通して陽光を当てることを、画商として私たちは誇りに思う。同時に、よくぞ私たちの眼前に現れてくれたと、こうした作品たちに感謝したい気持ちも強い。

 本展で紹介する作品で一番古い時代のものは、五姓田芳柳の「布袋戯児図」で、今からおよそ120〜130年前のものである。目玉作品のひとつである川端玉章の「四時群花図」(この作品については日経アートの12月号に紹介しているので、ご興味のある方はご覧下さい)が、明治10年作と推されるから、これでおよそ110年前。その他、100年を経たような作品がぞろぞろと並ぶ。

 平福百穂の「下山歓送之図」についても、同じ日経アートの連載記事『失われた風景-12』('98 7月号)で詳しく紹介しているので、そちらもご参照くだされば幸い。

 小林清親の油彩画については、幕臣としても活動したことのある清親が、どうして橋本左内像を描いたかという疑問も残るのだが、署名があり、印章も清親のものと一致するから、よいものだろうと思う。旧蔵者の土居次義先生は、誰かが真剣にこの作品のことを調べてくれることを願っておられたそうだ。

 作者未詳の作品が数点あるのだが、こうした作品の作者が判明することは非常に難しい。だからと言って無視することも出来ない。「水辺の女」が持つ艶かしさには、時代を超えた人間の共通意識が窺えて楽しい。ある研究者が、明治10年代に流行ったポルノ写真の影響があるのではないか、と言ったことに感心させられた。なるほどモデルの女性の右手の指先が乳首のあたりにあるのは、普通の絵としては異常に思える。真っ赤な布切れが煽情的である。作者は洋画を学んだ人に違いあるまいが、油絵よりこうした掛け軸が生活を支えたのかも知れない。























































































 同じく作者未詳の「山本長五郎像」は、作品が納められた額縁の裏板にある「明治21年、山本長五郎氏近影」と墨書きされた文字を信頼して、侠客の清水次郎長(本名、山本長五郎)の晩年の姿であろうと推察していたのだが、どうも絞所が合わないようである。表情は、実際に残る次郎長の写真とは違って穏やかで上品に描いてある。この「山本長五郎像」は次郎長とは別人の山本長五郎かも知れないが、明治中期の作品には間違いなく、表情も良く描かれているから大切にしている。

 松本硯生や杉本秀吉などは、京都の洋画史に僅かに名前が出てくるだけで、誰もその作品を見たことがない。だから、ここに紹介する作品を代表作とされると困る。これらはたまたま今判明している、というだけのものであるが、珍なるものとしてはこの上ない。

 前田吉彦の「平瀬氏肖像」や渡辺審也の「猿曳図」については前述の『失われた風景』で順次取り上げる予定。

 最後に、もう1点の目玉作品が、田村宗立の大作、「接待図」である。この作品は、『三彩』(1976年10月号)の田村宗立特集に、図版だけがモノクロで紹介されているが、宗立研究家以外誰も実物を見たことがない作品で、今回が田村宗立没後、初めて世に紹介されることになる。汚れていた画面をクリーニングして、後世に伝えるに恥ずかしくないように、額装を新調している。さて、この接待の場面はどういうものなのか、これから展覧会の会期中ゆっくりと作品を眺めながら、あれこれと検証していきたい。いずれ実物をご覧になる方々からご意見を拝聴することになるだろうと、楽しみにしている。

 明治期の作品は、現在に存在するということだけで誠に貴重なものと考えているから、これまでも度々展覧会を開催してきた。「明治の洋画家たち」展(1978年)、「関西洋画の草創期」展(1982年)、「太平洋画会の4人−鹿子木孟郎・都島英喜・中川八郎・吉田博」展(1985年)、「水彩画の黄金時代−6人の名手たち」展(1994年)、「人間が人間を描く刻ドラマが始まる、第一幕・明治の肖像」展(1995年)そして「浅井忠と京都」展(1998年)である。

 この他には、明治末期の京都に花咲き、大正日本画への魁(さきがけ)となる新しい伊吹を伝える作品群が、もう少しで展覧会の形をとれるところまで集まってきている。その中から、「明治日本画の新情景〜ひと・まち・しぜん〜」展(1996年山口県立美術館)に18点を貸し出したので、部分的にはどういうものかを想像して頂けることだろう。

















































































 このように日本各地の美術館での展覧会には、私たちが蒐集したいろいろな作品が請われて出品されるようになってきた。現在も進行中の展覧会では、「女性画家が描く日本の女性たち」展(京都高島屋、奈良そごう美術館、小田急美術館巡回)に島成園の作品を17点、「和田英作展」(静岡県立美術館、鹿児島市立美術館)に1点、「小磯良平と同時代を生きた画家たち」展(兵庫県立近代美術館)に2点、「薩摩次郎八と巴里の日本人画家たち」展(徳島県立近代美術館、横浜そごう美術館、奈良そごう美術館巡回)に3点、国画創作協会の逸材・澤田石民」展(笠岡市立竹喬美術館)に3点、「丸山晩霞と日本の水彩画の流れ」展(長野県信濃美術館)に8点、「野長瀬晩花・渡瀬凌雲展」(熊野古道なかへち美術館)に長野瀬晩花作品を5点、「京都の工芸1910〜1940」展(京都国立近代美術館、東京国立近代美術館)に荒井謹也の陶芸作品を7点、そして「二世五姓田芳柳展」(猿島郷土館ミューズ)に1点、合計46点の作品を出品して協力させて頂いている。

 有名作家の誰でも知っている作品だけの展示に物足りなさを感じる学芸員さんたちが徐々に増えてきたのか、この秋は特に出品依頼が重なった。画廊での展示と違ってたくさんの人々に見てもらえる、埋もれた作家と作品にとって折角の晴れ舞台だからと、作品の修復をしたり額装や軸装を改めたりと、出費が馬鹿にならない。利潤を追求する画商としてはどうかとも思うのだが、「損して得とれ」の言葉もある。そのうち良いこともあるだろうと自らを慰めている。

 台風が過ぎ去ったというのに、清々しい秋の空にはほど遠い天候が続く。自宅に咲かせている花々の数はめっきり少なくなってきたが、春から育ててきたヘヴンリーブルーと呼ばれる、ひときわ明るい鮮やかなブルーの花がたくさん咲き出した。梢にからまった蔓の先に咲くブルーに、私たちのコレクションの未来を見ている。

星野桂三・星野万美子



































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