明治・大正・昭和「桜をめぐる情景」展 後記 |
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「誰が言ひし春の色 げに長閑なる東山 四条五条の橋の上 四条五条の橋の上 老若男女貴賎都鄙色めく花衣袖を津らねて 行末の空の八重一重咲く九重乃花盛り名り 名に負ふ春の景色かな、名に負ふ春の景色かな 河原おもてを過ぎ行けば、急ぐ心の程もなく 東大路六波羅の叙蔵堂と伏し拝む の部分である。 もう1点の〈道成寺〉は、衝立の両面画となっている。表裏で場面を想像できるのだが、こうした作品をどのように狭い画廊で陳列したものか、今から頭が痛い。この作品を購入してから既に15年近くなるが、その間、倉庫で保管するにはスペースを取るために、これまた頭の痛い代物なのである。この作品の原点は、明治36年に開催された第5回内国勧業博覧会の出品作〈道成寺〉で、もっと大きなものである。多分一昨年に京都文化博物館で開催された「京都洋画のあけぼの」展に出品された仏光寺所蔵の作品がそれに該当するのだろうが、著しく保存が悪く、自慢じゃないがこちらの方が数段よろしいように思える。もう1点同じ様な作品を見かけたことがあるが、その事はいずれ書く種に残しておきたい。 |
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「京都市左京区岡崎入江町、平和な日の風景」(1999年5月) |
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このように展覧会の準備をしていながら、我が家の隣に建つマンションのことが気にかかってならない。 |
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同じことを今裁判所がしようとしている。今年1月9日には、仮処分の審尋では異例という形で、私たちが依頼した参考人として、地震学の世界的権威、尾池和夫京都大学大学院教授から参考意見を聞く法廷が開かれた。先生は、京都に直下型大地震がいつ起きても不思議ではないこと、その際、大きなマンション構造物の基本的な部分は大丈夫だけれど、外壁や付属した部分が破壊される可能性があること、また問題の花折断層がマンション敷地直下を通っている可能性の高いことなどを意見陳述して下さった。この法廷に先立ち、当方の折田泰宏弁護士・大杉弁護士と私たち夫婦が、12月に3度、都合8時間、地震と活断層についての講義を、尾池先生から京大の研究室で受ける羽目になった。先生が「これは5年間のコース」と言われたほど濃密な講義内容で、理科系に弱い私たちの脳味噌には相当過剰な情報であった。お陰様で、地震と活断層のことを一般の方々より少しは余計に知ることが出来たように思う。その講義内容を大杉弁護士が整理して裁判所に提出されたが、まるで地震の本格的な入門書のようにきっちりとしたものであった。 ここで地震、地震と繰り返して書き連ねるのには、大きな理由がある。これも一昨年から隣地に発生したマンション建設問題を研究する過程で分かったことなのだが、西日本は阪神・淡路大震災以来、地震の活動期に入っているからである。作秋の鳥取県西部大地震のような直下型大地震が、近い将来、京都の花折断層を震源として襲う可能性が高いことが分かったからである。しかも鳥取の場合と違って、京都大地震が襲ったときの被害想定は阪神大地震以上と言われている。その事が、週刊誌やテレビ報道などで賑やかに取り上げられてきたから、少しは世間の知る所とはなってきたが、まだまだ一般の人々の反応は鈍い。つまり、「地震は怖いけど、来たらみんな一緒や、どうせ死ぬんやし」と片付ける。本当は、「自分だけは死ぬことはない」と楽観して、怖いことに向かっては何をすることもない。京都市防災課が防火のてほどきを配布し、防火訓練を各所で開催しても、町内会の役員がお義理に参加しているに過ぎないところが多い。阪神・淡路大震災であれだけの被害の様子を見聞きしているのに、その経験はもはや風化しつつある。箪笥や家具を金具などで固定している人は、私たちがこれだけ運動しているにも拘わらず、町内では見無というありさま。もちろん我が家では範となるべく、というより、当たり前のこととしてあらゆる方法を尽くして大地震に備えてはいる。しかし頭上からマンションの外壁や室外機などが降り注いできたのでは、何も抵抗出来ない。町内でマンション賛成派の住民のホームページには、「地震が怖ければ引っ越しをすればよい」とさえ言い切る文章が登場する。私たちは、マンション反対運動を通じて、目先の利得に汲々とする人間の醜悪さやずる賢さに直面し、正直辟易している。けれどもそれとは反対に運動を通じて、極少数ではあるが、良心が満ち満ちた立派な方々ともお知り合いになれたことを喜んでもいるし、感謝もしている。 |
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「この30年間、この地には1軒もマンション事業はなされませんでした。京都市が守ってきた美観地区の、いわば神聖とも言える地区に住まうことの美学・・・」 「長らく守られてきた環境の中で、ここ岡崎あたりから見る東山の景観はあなたひとりの贅沢・・・」という勝手な文句の羅列に強い憤りを感じるのは、なにも私達ばかりではないだろう。こうした現象は、近い将来、京都が京都でなくなることの予告編と言える。 とはいえ、私達がマンション建設にやみくもに反対している訳でもない。というのは、先ほど来触れている大地震との兼ね合いがあるからである。運動を通じて知り合った京都市防災課の方々も正直困っておられる様子が見える。京都らしさを残すためには、木造家屋を保存する必要がある。しかし、防災という観点から言えば、鉄筋コンクリートの建物が望ましいのである。一端直下型大地震に見舞われたら、京都はこれこそ火の海になることが容易に想像される。あのおぞましい神戸市内での火災の光景をテレビ画面で震えながら見守っていた私達は、現在、車が入れない、狭い、路地にも似た細い道路に囲まれた密集住宅地に住んでいる。火事が起これば、消火する消防車はまず来ることはない。燃えるにまかせることになるだろう。けれども静かで便利で住環境してはこの上なく良好である。今は、ひたすら大地震の来ないことを祈っているのだが、もう一つの問題がある。私達の画廊も花折断層の延長線上にあるのである。 花折断層南部は、京都の北から三千院、修学院離宮を通り、京都大学構内東をかすめ、吉田山の西麗から岡崎へ抜ける。その先は京都市美術館から祇園石段下、清水、桃山へと続いている可能性があるのである。たとえ直接続いていなくても、活断層の延長線上の被害が甚大になることは、阪神大震災の経験から分かっている。地震学者や防災の専門家からは、京都の東山の稜線に点在する寺院が所有する、貴重な文化財を避難させる方法を具体化した方が良いという意見さえ出されている。私達が収集してきた多数の美術品には、巨匠たちの作品は少ないとはいえ、貴重な作品が多く含まれているから、これも文化財には違いない。これらの作品を地震からどのようにして守りきることが出来るのだろうか。私達の悩みが尽きることはない。
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2階建ての木造家屋が並ぶ町内に、巨大なスケールのマンションが姿を現わしている。住民にとっては、京都駅ビルに匹敵するものに思える。そしてここが活断層の真上なのです。 |
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