ダイナミズムとデリカシー | ||
彩管の魔術師 玉 村 方 久 斗 遺 作 展 | ||
2005(平成17)年11月1日(火)〜11月27日(日)開催 | ||
|
【後 記】 |
|
|
それからあっという間に20年が過ぎ去った。最初の遺作展を開催して以来、大正期の作品やホクト社時代の出品作が数点揃ったら改めて遺作展をしようと考えてきたが、今回こうした形で見切り発車することにした。ある区切りというものを私達なりにつけたかったからだ。現時点では、一画廊としては充分の作品の量と質が揃ったとの自負がある。これ以上のことは今後大規模な遺作展を公立の美術館で開催されるときに、専門家各位の手に委ねることにしたい。 |
|
|
ここまで玉村方久斗についてこだわる理由は何故なのだろうか、自問自答してみる。まず多くの研究者が気にかけているのに、誰もその全貌に近づくことが出来ていない。だからこそ自分たちがやらなければならないし、またやる値うちがあると思うのだ。彼の出生地の京都の画商としての使命感のようなものである。また美術史的作家論より、眼前にある実作品にどれだけ感動を共有できるかどうか、という点から作品の収集を続けている画廊経営者としては、次から次に現われる作品の魅力に打たれて止まないこともある。彼の芸術家としての幅広いそして深い素養が、卓越した彩管の技術に裏打ちされて絵画とし披露されると、コレクターのひとりとしてついつい購入してしまうのだ。そんな訳で方久斗のコレクションは、とうとう120点を越えてしまった。 |
|
|
「花の都は二百年の昔にて、今は花の田舎なり、田舎にしては花残れり、きれいなれどもどこやら寂し」という江戸の俳諧師のふた昔前のことばを、改めてしみじみと思い起こす。京都は馬鹿にされていないだろうか。京都という冠詞さえあれば何でも売れる。町家という冠詞さえつけば不動産も動く。上っ面だけの流行で京都人は利用されるだけされて、本当は騙されてはいないだろうか。馬鹿にされていないだろうか。 |
|
このウインドウを閉じる |
Copyright (C) 2003 Hoshino Art Gallery All Rights Reserved. |