「滞 欧 作 品 展」その3
−洋画家と留学・美の交流の軌跡−  
2006(平成18)年 2月25日(土)〜3月26日(日)開催

 

【後 記】
 当画廊の長い歳月と多分野に亘る活動の中でも、特に作品蒐集のための主要な柱としているものが4つある。《京都の洋画史を俯瞰できる作家と作品》、《国画創作協会展を中心にした大正期の個性派日本画》、《戦後まもなくの美術作品》そして《洋画家の滞欧作品》である。本展はその大きな柱のひとつの蒐集品のお披露目となるもので、「滞欧作品展〜栄光あるいは更なる苦悩への出発」(1986年開催)、「洋画家の夢・留学」展(1993年開催)に続く第3弾となる。
 過去2回の展覧会で既に発表済みの作品もあるが、その後入手した貴重な作品を中心にしながら、今回は特に、留学した画家たちの縁により日本にもたらされた、欧州の画家たちの作品を併せて展観することにした。
 何故それほどまでに留学中の作品にこだわるのか。若き日の勉強時代にたまたま描かれただけのものに過ぎない、まだ作家として未熟な完成度の低いのものばかりじゃないか、欧州の流行を小利口に取り入れた模倣作品ばかりじゃないか、当時珍しかった外国の風物に憧れただけのものじゃないか…口うるさい向きはそう言うかも知れない。けれど美術作品鑑賞のいろはは、そうした批判を忘れることから始まる。「音楽は美しいものでなければならない」と同様に、「モーツアルトの音楽が生誕250年を迎えてなおその瑞々しさを失わないように」、絵画も当然美しくなくてはならないし、時代を超越した存在でなければならない。「モーツアルトのような大天才と一緒にするな」と言われるかも知れない。けれど現世の様々な邪念を捨て去り、滞欧作品の色彩や筆致の躍動に身を委ねる時、描かれた時代と彼の地に思いを馳せる至福がある。それらには画家たちの若々しい感性や、苦悩と感動の息吹きが込められているからだ。そこには国境と時代を超越した美が存在する。と同時に欧州と日本との間に交わされた「人的交流の軌跡」が、一枚のキャンバスに込められていることにも感動するのである。私達には、そうした「証し」としての滞欧作品は「美しい存在」そのものなのだ。
 昨秋のNHKテレビで「ハルとナツ、届かなかった手紙」を観た。北海道の開拓農民の一家が、ブラジルに新天地を求めて移住するために、横浜港から移民船「サントス丸」に乗り込んだ。その際、まだ幼い姉妹が離ればなれになってしまった。ブラジルと日本とで生き別れになってから60余年後、再会するまでの互いの人生を、二人の間で交わされたはずの「届かなかった手紙」を軸に再現した感動編だ。主人公一家が横浜から出航したその船が、移民船「サントス丸」の‘最初’の就航だったというナレーションに、私は深い感銘を受けたのだ。実は、その「サントス丸」‘最後’の航海に、私は偶然乗り合わせていたからだ。今からちょうど40年前の1960年7月のことだった。船上にはその当時でもまだ、日本から開拓農家に嫁入りする何人ものご婦人の姿があった。写真の交換だけで縁談がまとめられる、まだそんな時代だった。柔道教師としてアメリカの高校に赴任する青年、台湾からの留学教師、ブラジルへ移民するエリザベス・サンダ−ス・ホ−ムズの日系孤児たち、様々な人々の想いと未来を蚕棚のような3等船室に詰め込んだサントス丸は、2週間の航海の後、ロスアンジェルスの港に着いた。私のようなアメリカ下船組が港に降り立ち、ふと振り返ってデッキを眺めると、それからまだはるかブラジルへの旅を続けなければならない人々の、どこか寂しそうな顔が朝靄の中に浮かんで見えた。あの人達は今頃どうしているのだろうか。
 画家たちの主な夢の新天地がヨーロッパだったの対して、私が憧れたのはアメリカだった。同志社大学4年在学中に運よく手に入れた交換留学生の肩書きで、片道切符だけを手にして希望に胸を膨らませて船出したのである。当時の航空運賃は貧乏学生にとって到底捻出不可能な金額だった。しかし若かったから時間は無限大にあった。画家たちがシベリア経由では何日かかったのか調べていないが、海路ヨーロッパに到着するのにおよそ40日を要した。彼らの滞欧時代の作品をがむしゃらに追い求める発端は、多分このような自身の経験も作用しているのかもしれない。画家たちが西洋画の美の殿堂を巡る旅を通して様々な成果を得て帰国したのに対して、私自身はと言えば、却って母国日本への思慕の念を強くしてしまい、その後現在まで日本再発見の旅を続けることになった。それを、欧州留学を早々に切り上げて、日本固有の洋画を追い求めた小出楢重の心境と同じだ、と言えば笑われるだろうか。
 その美しいはずの日本が、最近は心貧しく汚らしいものに変貌している。思えばバブル景気崩壊後、その兆しがあった。しかしまだその頃はバブル期に対するささやかな反省があったし、人々も少し謙虚に暮らすことの良さを見直す気配があった。ところが打ち続く不況感と経済の閉塞状況から、反動のようにITバブルに踊らされ、束の間の金儲けに翻弄される人々が跋扈し始めた。目先の利益に奔り、本道をそれる起業家がジャーナリズムの話題を独占してしまった。やがて「企業は株主のためにある」とうそぶく起業家が虚業家であることを暴露され、多くの哀れな株主たちはただ利用されただけで、紙切れとなった株券を額に入れて飾ることもできず、やけっぱちになって虚業家たちの新たな餌食の予備軍になってしまった。
 耐震基準を大幅に下回る耐震強度偽装の問題は、マンション建築と販売の業界では、問題のごく氷山の一角に過ぎないと思う。数年前に私宅に隣接する大邸宅を壊してマンションを建設する問題が発生し、それまで知ることもなかった業界の暗部の一端を垣間見ることになった。マンション反対運動を通して、京都市の建築指導課とマンション開発業者との何とも不明瞭な関係を見聞きしたりした。亀井静香氏が建設大臣の時に建築確認検査を公だけでなく、営利を目指す私企業でも請け負うことが出来る民間開放など、大幅な規制緩和を伴った建築基準法の改定が進行され、1998年から実施されたのである。その亀井氏が先の総選挙で虚業家のホリエモンと闘うことになったのは、皮肉としか言い様がない。建築設計会社やデベロッパーから建築確認を求めて書類を提出する先として、正直に厳格に確認行為を行う真っ当な会社は敬遠され、いい加減な会社には客が殺到し、門前イモを洗うが如き盛況となっている、と知り合いの一級建築士から聞かされていた。マンションの設計図だけとっても、実は近隣住民に対する説明用、建築確認提出用、そして実際の工事現場用、少なくともその3種類が別個に存在するのではないか、そのような疑いが私たちのマンション反対運動の過程で露見するような事態も起こったのである。大手デベロッパーの代理人は、住民説明会でうそぶいた。「地震は免責ですから…」姉歯問題の奥は深く広いのだ。
 最近新聞のあちこちでこうした社会現象を反省したり、批判したりする文章にお目にかかる。それらは概ね共感できてなるほどと相槌を打つことが多い内容だ。しかし願わくばもう少し早く、問題が顕著になる前に警鐘を鳴らして欲しかった。テレビが小泉郵政改革とホリエモン礼讃一辺倒だったことを忘れることはできない。そして「郵政民営化が是か非か」だけで選挙で大衆を煽った危険な政治家、金儲けこそが正しい人生の歩み方だと放言しまくる虚業家、その双方を偶像視して奉ったのは誰か。大局的な見方や思考を避けた、自分だけが得をすればよいという姑息な大衆自身であったことを自戒すべきだ。
 美術関連に絞れば、最近の流行となっているのが、美術館施設などの指定管理者制度への移行問題である。国立美術館・博物館などの独立行政法人への転換と同じく、小泉改革路線の悪貨である。「改革」「改革」と口を開けば出て来るスローガンは、かの虚業家が発する「金儲け」とあまり違うことがないような気がする。本当に必要なものだろうか、本当に改革なのか、それは誰のためになっているのか、そうした疑問が頭から離れない。文化というものは、いつの時代でもどこの国でも、時の為政者や権力者、そして大金持ちの庇護のもとでこそ発展し守られてきたのを否めない。美術館の維持という大仕事を、公がせずに一体誰ができるというのだろうか。何でも官から民へという図式はこうした文化の維持に於いては到底当てはまらない。目先の維持管理費が赤字になることは、文化が税金の大切な社会的還元作業であるという観点からすれば、当たり前のことなのに、そこに営利主義や効率主義を持ち込む考え自体がおかしい。
 明治の文明開花の頃、日本を訪れた外国人は、貧しくても凛とした生活規範を保つ日本人の日常に接して大いに感動したという。それはいくつもの文献で確かめられる。また当時、西洋文明を吸収するために欧米各国に派遣された若者たちが、いかに教養豊かで武士道などに代表される美徳に育まれた精神の持ち主であったか、そして彼らの外国語や服装ががいかに貧相で場違いなものであっても、彼の地の外国人たちの尊敬を集めた事実は、彼らの毅然とした姿勢にあったのだということを思い出さざるを得ない。その毅然さが、繰り返すが、深い教養と修養された高い精神性に裏打ちされたものであったことを忘れてはならない。汗することもなく、僅か1時間で20億円儲けた20代の若者や、早朝からパソコンの前に座り続け、刻々変化する相場に一喜一憂する、デイ・トレーダーと呼ばれる若者たちが何万といるという報道に接して暗澹としている。せめて美術、文化の世界にだけはそうした間違った合理主義や拝金主義を持ち込まないようにして欲しいのだ。
 私たちの長年の血と汗の結晶であるコレクションは、公の美術館で開催される展覧会では落ちこぼれている作家や作品が多い。しかしそれこそがこのコレクションの存在意義であり、目的とするところなのである。関係諸兄が当カタログの資料を利用されたり、コレクションの一層の充実を図るコレクターの方々にとっては、今後の収集の指針の一端にでもなれば幸甚である。

                2006(平成18)年 2月   星野  桂三


このウインドウを閉じる

Copyright (C) 2003 Hoshino Art Gallery All Rights Reserved.