画家たちが遺した美の遺産 その@ 
かけがえのない日本風景 
星 野 画 廊 10:30AM〜6:00PM(毎月曜・第1日曜休廊)
京都市東山区神宮道三条上る TEL.075-771-3670
  

  【後 記】・・・・・・・・・・ 星野桂三

 2003年5月9日宇宙科学研究所(現宇宙航空研究開発機構)が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」は、それまでどの科学者も考えつかなかったイオンエンジンの採用で惑星間航行や自律航行に成功し、2005年9月12日に小惑星イトカワに到達、11月20日に着地した。しかし12月8日に「はやぶさ」からの通信が途絶えた。再び「はやぶさ」からの電波が受信できたのが翌年1月23日。それからほぼ1年にわたる必死の救出努力の結果2007年4月に地球帰還に向けて再出発した。プロジェクト担当者たちの苦闘は続いたが、3年後の2010年6月13日「はやぶさ」は丸7年、往復60億kmの旅を終え、地球の大気圏に再突入したのだ。地球重力圏外にある天体の個体表面に着陸しての地表サンプルを採取して持ち帰る旅、それはまさに奇跡に近い世界初の快挙だった。政府による事業仕分け作業中の「一番じゃなきゃダメですか?」発言に揺れ動いた、科学技術開発予算に対する不当な圧力をはね返す快挙でもあった。その後映画化されたりして日本国中が湧いた、最近稀に見る明るいニュースだった。
 旅には様々なかたちがある。「はやぶさ」の旅はその極端な一例でありどうかと思われるだろうが、殺伐とした現代日本では数少ない夢を語ることのできる旅として持ち出してみた。時代を遡れば1702(元禄15)年に刊行された俳人松尾芭蕉の『奥の細道』や紀貫之の『土佐日記』(935年頃)などの歴史的文学とされる紀行文をまず思い浮かべることだろう。私の本棚に並ぶ美術関連書物を拾ってみると、『欧州絵行脚』(1911 三宅克巳著)、『畿内見物・京都之巻』(1911 金尾文淵堂)、『瀬戸内海写生一週』(1911 太平洋画会画家8人共著)、『十人写生旅行』(1911 小杉未醒編集、太平洋画会画家10人著)、『水彩写生旅行』(1911 大下藤次郎著)、『欧州芸術巡礼紀行』(1923 国画創作協会同人著)、『絵の旅から』(1926矢崎千代二著)、『南米絵の旅』(1933 矢崎千代二著)、『山旅の素描』(1940 茨木猪之吉著)などがある。仕事柄いつかは必要になるだろうと買い集めてきた古書の一部である。
 明治末期から昭和初期、画家たちが各地を巡りその印象をスケッチした挿絵や文章は読者を惹き付けてきた。中でも水彩画による旅のブームの仕掛人・大下藤次郎は、1895(明治28)年から相模地方や房総半島、日光など関東各地、猪苗代湖から磐梯、信州や甲州、その他関西方面など日本各地に写生旅行を行い、たくさんの水彩画の佳品を生み出した。本目録との関わりでも忘れてはならないものだが、残念ながら頁数の都合で彼の水彩画の名品を紹介できなかった。ここに最近入手した佳品を参考図版として掲載しておく。
 大下藤次郎「勿来」
  1907(明治40)年 
  20.3 × 30.5 cm 紙に水彩
 
 勿来は、歴史上勿来の関があったことで有名 で、桜の名所としても知られる。
 福島県浜通りの現在のいわき市南部にある。
 2011年3月11日の東日本大震災と巨大津波による海岸部での壊滅的惨状が、テレビで繰り返し放送された。私たちはただ怯え、震えながら報道を凝視することしかできなかった。40年ほど前に家人と共に東北への旅に出たことがある。松島海岸を経て下り立った宮古市内には独特の海の匂いが立ちこめ、海に慣れていない私たちは思わず閉口したものだ。真っ白い浄土ケ浜に心洗われ、田老海岸から龍泉洞を経、陸中海岸の男性的な断崖の雄大さを垣間みて後、平泉に向かった。薄れかかった記憶の端に当時の様子が少しずつ蘇り、現実の惨状とが重なり合う。
 数年前に本書で紹介している鶴田吾郎<金華山晩秋>を入手した。その時に描かれた場所がどこなのか検索して、岐阜県の金華山でなく宮城県石巻市の牡鹿半島の沖にある金華山と分かった。今回の大震災の被災状況を検索していると、ちょうど地震発生時に金華山に登山途中だった人(moriizumi arao氏)による詳細なレポート「金華山 地震と津波の爪痕」に遭遇した。津波の様子、その後の避難状況から無事帰還するまでの実に詳細なレポートだった。命からがらの旅だというのに、その綿密さと冷静さに脱帽した。レポートは3月17日にアップされていたのである。
 桜が咲き、新緑の芽が吹いても人々の動きは鈍く、画廊に来られるお客様も極端に減ってしまった。それは厭世的感情により全国的に広がった現象のようだ。例年なら画廊の企画展の一つや二つも開催している頃なのにと思案を重ねた末、これまで怠ってきた倉庫の整理を始めることにした。
 四季折々の変化を見せ、人間を慈しみ、育んできた美しい国土に住みながら、巨大津波によりあっけなく崩れ去った生活、大切な家族や友人を喪い、見えない放射能汚染により放棄せねばならない土地と家屋、そしてバラバラになった近隣関係。たとえ震災被害を直接的に受けなかった人でも、常に不安を抱えて何かに怯えながら生活しなくてはならない。平和な世界がこのまま簡単に消えてしまってよいものだろうか。作品の検証はこの考察から始まった。美しい日本の風土と風景を画家たちがどのように記録し、描いてきたのだろうか、画廊の蒐集品の中で検証してみることにしたのである。
2011(平成23)年10月  

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