世界文化遺産登録記念特別
画 家 た ち の 富 士 山

と き  9月11日(水)〜 10月5日(土)
ところ 星野画廊(休廊日:毎週火曜日) 
10:30AM〜6:00PM
京都市東山区神宮道三条上る TEL.075-771-3670


  【後 記】・・・・・・・・・・ 星野桂三

 いつかは富士山を描いた作品を集めた展覧会をしてみたいと考えていたが、思いだけではできないものがあった。世間に富士山の絵はたくさんあるように思われているが、私の買い気がそそられる絵はあまり多くないからだ。生活のために売ることだけを念頭に描かれた絵は避けるようにしてきたので、富士山の絵は本当に少しずつしか増えない。一昨年3月、東日本大震災の巨大津波と福島第一原発の破壊事故が起こった。人々の穏やかな生活とそれを支えてきた美しい日本の風土そのものが一変する悲惨な様相を目の当たりにし、「かけがえのない日本風景展」を企画した。その中で富士山を描いた洋画作品のみに限定した小規模の展観をした(同年秋)が、本展は富士山の世界文化遺産への登録を記念する企画として、日本画などを加えて編成し直したものである。
 誰もが知っていて、その姿がひとつの定型として脳裏に刷り込まれている富士山の造形美というものがある。尻込みして描く対象として考えない画家も大勢いたし、富士山を描かないことで反骨の気概のようなものを示そうとした画家もいた。富士山を多く描く画家と絶対に描かない画家、極端に言えばふた通りに分かれてしまっているようだ。その生涯に富士の絵をたくさん描いた横山大観が様々に揶揄されてきたのは事実だ。しかし<或る日の太平洋>(1952=昭和27年、東京国立近代美術館蔵)などの傑作を眼前にすれば、誰でもその精神性の高さに沈黙せざるを得ないだろう。大観のような巨匠の富士山でさえ揶揄される。ましてや普通一般レベルの画家ならなおさらと言うべきだろう。あれは売り絵だとか、否そうではないとかの判断の基準が極めて曖昧になるモチーフは、富士山ならではのことか。ここに展観する様々な富士山は、画家たちが自分自身の美的感覚を素直に表現したもので、後世の私たちはそれをごく自然に楽しむ姿勢で臨みたいのである。
 富士山麓は豊富な地下水で有名だ。水は自然景観を形づくり、田畑を潤し、人間生活の基本となる。ところが最近は、様々な局面で水がもたらす危険を考えることが多くなった。「これまでに経験したことのない」と気象庁が表現する局地的大雨の被害が各地で頻発している。一方で少雨により水瓶となるダムの貯水量が例年になく減っているところもある。
 本稿を書いている日の京都の気温は連日軽く38度を突破し、国内でも40度を超える地がいくつか出てきた。日本国中、否世界中がこの夏、異常な熱波にさらされている。一方、一旦降り出せば「これまでに経験したことのない」局地的豪雨が人々の生活を破壊する。地球温暖化による世界的な異常気象の大きな原因となっている、温室効果ガスの発生を減らす対策をもっとはやく進めなければならない。特に「未だ発展途上にある」と強弁する巨大な隣国、中国の責任は免れまい。
 水といえば、福島第一原発では汚染水との危うい戦いが続いている。原子炉建屋周辺に一日1000トンの地下水が流れ込み、このうち300トンが建屋周辺で放射性物質に汚染して海に流れているそうだ。原発破壊の後遺症はチェルノブイリのごとく、将来も延々と続くだろうと危惧しているが、豊富な地下水が放射能汚染水の海への拡散を進めかねない。「これまでに経験したことのない」で括るなら、東日本大震災の時の巨大津波もそうだったし、東京電力福島第一原発の事故だってそうだ。過去にあった巨大津波の痕跡を発見した地質学者らが、原発側に新たなる対策を求めたが、「想定外」の事象として門前払いをされていたそうだ。「経験したことがないから」といって許されないこともある。これまで「想定外」という言葉で責任逃れをしてきた事故がいかに多かったことだろう。つい先日も南海トラフ地震による巨大津波が、大阪の梅田地下街を水没させる、という想定が防災の有識者検討会から発表された。私たち美術関係者なら、当然中之島の地下に建設された国立国際美術館がどうなるのだろうと心配する。もともと同館の建築設計が発表された時、私たちはあのような地理的条件の所に地下構造の巨大美術館を建設することに大きな危惧を抱いていた。構想を進める側は、「予想しうる万全の対策を取る」と建築を進めたが、はたして中之島が2メートルの高さまで水没することなど予想していただろうか。
 最後に昨年の9月に開催した「京都洋画の先達・伊藤快彦遺作展」図録の補足をしておきたい。同展図録P.54に掲載している参考図版<日本赤十字社京都支部総会出席者群像>(1892=明治25年)に描かれたひとりの人物についてである。中央の大きな菊のご紋章の右側に和装の老人が描かれている。このスナップは不鮮明で分かりにくいかも知れないが、現物を見た時、どうやらその老人は眼が不自由そうに思えた。私は山本覚馬ではないかと考えて、同志社の研究者に尋ねたところ、「山本覚馬はこの絵の描かれた時には、かなりの老体で会合に出席できる状態ではなかった」との見解であった。最近になり、NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台が維新後の京都に移った。天皇が東京に居を移したことで、多くの貴族や出入りの商人までもが大挙して東京へ去り、京都はもぬけの殻のように衰退していた。苦境にあった京都の再建に尽力した山本覚馬の活躍ぶりもドラマでは描かれている。京都府三代目知事・北垣国道の北海道庁長官の就任に際し、京都を去る時の記念画として描かれた同作に、政治や経済の大立て者として活躍した京都発展の恩人山本覚馬が、特別の地位を与えられて描かれたとしても不思議ではない。他の人物像が全て洋装であるのに、この老人だけが和服で、しかも絵の中央上段に描かれている。私の考えは今や揺るぎないものになった。いずれ同作の修復後に公開される時には再度見聞してみたいものである。
 2013(平成25年)8月中浣 酷暑の京都にて

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