素顔それとも虚構― 生かされた女性美


  【後 記】・・・・・・・・・・ 星野桂三

 このところ大手ホテルや有名百貨店の系列店などでの食材偽装の報道が巷を賑わしている。高級を売りの店にさえ裏切られ消費者が憤るのは当たり前だ。同じようなことがこれまでも断片的に触れられてきたが、それはあくまでも値段の安さを売り物にしている店での話だった。フカヒレスープがこんな値段の中華定食についているなんてラッキーとか、近頃の牛肉は安くなってこんな値段でステーキが食べられるんだ、嬉しいねと素直に喜んできた。内心ではどこか変だなとは思っても、どうせこんな値段だし…と深く考えずに許してしまうことが常だった。カニ風味のかまぼこと同じようにフカヒレも完全に合成されたものがあると、最近の報道で知った。フレッシュ・ジュースを頼んだ喫茶店のカウンター越しに、店員がパック詰めの容器からボトボトと濃縮還元ジュースをコップに注いでいるのを見かけても、へーこんなのでもフレッシュ・ジュースで通るのだと、あきらめて文句も言わずに見逃してきた(これからは許しませんよ)。オーストラリアやアメリカの肉牛が飛行機で日本に生きたまま運ばれてタラップを降り、三ヶ月日本で餌を与えられることで、立派な国産牛として大手を振ってまかり通るということも知人から聞かされていた。その国産牛も和牛に偽装されているだろうことは容易に推察できる。中国だけではなく日本にまで、業界の都合に従って消費者を騙すシステムがまかり通っているのである。ある時大手の肉チェーン店で、立派な霜降りの入った牛肉が昔では考えられない価格で売られているのを見かけて購入し食したが、どこか満足できなくてやっぱり値段は値段やなーと慰めたことがある。最近の溢れるような報道に、あれは霜降肉になるような細工をした偽装肉ではないかと考えるようになった。プロでも見分けのつかない方法があるらしいと訳知りの知人は言う。産地表示以外に「霜降り化粧偽装牛肉」の表示が欲しいくらいだ。
 随分前のことだが、遠来のお客様で料亭を営むご夫婦が、京都祇園の小料理屋の看板メニューを見てびっくりしたそうだ。とにかくフグ料理の値段が安い、どうして自分たちの仕入れ価格をこのように大幅に下回るフグを店で出せるのかと疑問に思い食したところ、その晩は明け方まで妙にいらいらと興奮して眠れなかったそうだ。思い当たるのはフグ料理しかないとおっしゃった。大量の防腐剤や成長剤などの入った餌で育てた養殖フグだったのかもれない。幸いなことに、その小料理屋は最近姿を消した。食品の偽装問題は、アレルギー患者にはより深刻な問題を引き起こす。僅かのアレルギー物質の混入により患者は七転八倒することもある。もうこれからは一流の店であってもうっかり外食できないと嘆く患者家族の談話も見聞きした。
 美術界では偽装はないのか?と訊かれると困る。考えれば偽装一歩手前のところにあるものでも、「これも芸術だから」と開き直られるのがおちだ。近年、時代絵巻や名所屏風の中に現代風物を紛れ込ませた一種のトリック絵画で評判を取り売れっ子となった画家がいる。また将来画家を目指す学生たちが早速それを模倣し学内発表展などに出品している。これも偽装工作の成果か。若冲がれば若冲風の絵が氾濫し、琳派が流行れば琳派風の現代絵画が横行する。ではもっと昔には無かったのかと訊かれると困る。実は、そうした事例の枚挙にはないのだ。明治以来、洋画家が洋行して西洋の著名画家の作品を模倣しただけの絵が、帰朝後は画壇で大手を振ってまかり通ることも多々あった。日本画の画塾の学生たちは、先生のスタイルそのままの絵を描いて展覧会に通してもらう。最近日展を大きく揺るがせている書道界も同じようなケース。どうせ似たり寄ったりの書だとしたら、権威ある先生方のご意向で審査なんてどうにでもなる。またそうしなければ先生方もこれまでの投資の元が取り戻せない。そのような仕組みが昔から延々と構築されてきたのである。実は、書道界のみならず、洋画、日本画を問わずのことであるそうだから根は深い。そしてことは日展だけに留まらず、多くの公募団体共通の問題でもあるらしい。
 本展出品作の中に、岡本大更の2作品#56<倣彦根屏風美人之図>と#57<魯生女之図(倣鳳山)>(P35)がある。いずれも主題は自身のオリジナルではなく、前者は彦根屏風の絵から画想をとり色彩を違えて描いたもの、後者は同じ大阪画壇で活躍し1920(大正9)年に45歳で早世した大更の友人画家、上島鳳山の画風を偲んで描いたものだ。大更のみならず、日本画家たちは先達画家の画風を勉強するためや後輩に範を示すためによく描いた。故に偽装とは無縁のものである。またそれぐらいの技術がなければ画家として一人前とは言えないのである。岡本大更は主に大阪画壇で活躍し数多くの佳品を遺しているが、残念なことに正当な評価を受けていない「売れない」画家のひとりである。ひとえに大阪市に建設予定の新美術館計画が長い間頓挫していることにもよる。大更のみならず大阪関係の画家たちの顕彰が思うように進んでいないのが現状だ。大更の生まれ故郷にある公立美術館が地元出身画家の顕彰をあまり主眼としていなことにもよるようだ。画壇で一世を風靡したり劇的な話題を提供したこともなく、大人しい画風で静かに地味に生きた画家にもいつか陽の当たる日がくるように願うばかりだ。本展開催を機に同じ大更の#5<京の町へ>の表具を新装した。保存が悪く、雨だれが表具の上部から画面の中程まで強いシミとなって流れ落ち絵の雰囲気をぶち壊していたが、表具師のFさんの技によりシミは取り除かれ、表具裂も最高級のものを指定して取り替えた。大更初期の代表作がこのように見事に蘇った様を是非実見していただきたい。
 当画廊において過去に「明治・大正・昭和−美人画コレクション展」(2001=平成13年)と「〜京阪神〜女流画家の競艶」展(2004=平成16年)を開催している。ほぼ10年ぶりとなる女性画のコレクション展だが、美人画というりで表記することを避けたのは、女性のもつ多様な美しさや妖しさを、一語の“美人”で言い表すことの困難さと、愛らしい少女を描いた絵や、母と子を描いた秦テルヲの名作なども含めているからだ。
 また本展では作者不詳の画家による作品を数多く紹介している。これまで多くの公立美術館での展覧会が避けてきた作者不詳画である。「絵は佳い絵なのに、作者が誰か分からなくては出品できない」と逃げないで、絵の内容が魅力的なのが一番、作品を埋もれさせるわけにはいかない、作者の詳細はそのうちに分かるだろうと考えてコレクションしてきたものだ。調査はなかなか進まないが、徐々に邂逅につながる光明が見える時もあり、展覧会を機に新しい情報が寄せられることもある。これまで購入した作者不詳の絵を当時のみすぼらしい状態で保存してきたが、今回売れる売れないの商計算を度外視して、修復を施し表具を新装して絵にふさわしいものに仕立てあげた。是非ご覧いただきたい。こうした作品が日本で正当な価格で売れるようにならないと、作品はまた海外に流出してしまうことになる。
 近年、海外のコレクターによる日本近世絵画や、大正から昭和期にかけての美人画コレクションが日本各地を巡回して脚光を浴びているが、彼らコレクターたちは、絵筋の良さや絵柄の奇想さなどを基準とし、作者不詳であっても、また知名度は低くても、既知の著名画家による作品とは段違いに廉価に購入できたからどんどんと買い集めていった。後に日本での研究が進み、次第に貴重な作品や画家であると認知されるようになり、展覧会が逆輸入されるようにもなったのだ。珍しい絵が海外にたくさんあるのは、日本人コレクターが名前や経歴に重きを置き、作品の内容に目を向けないからだろう。何しろ日本は茶道具に代表される「箱書き文化」の国である。宗匠の箱書きさえあれば、茶道具はどんどん売れたし、宗匠たちの懐も潤った。美術界に限らず日本ではブランドが珍重されすぎる。極論すれば、それが現在の偽装食品の源にもあるブランド偏重主義であり、公募団体を揺るがす利権主義の源であろう。とはいえ当画廊が発掘してこれまで世に紹介してきたかなりの数の、昔は「無名画家」だった画家たちとその作品が、既に美術業界で認知されてブランド化されつつある。このことを画商として誇りに思うことは間違いなのだろうか。
 2013(平成25)年11月    

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