【よもやま話・断片】 星野 桂三 本図録掲載の作品にまつわるエピソードや感想を順を追って述べておきたい。 |
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(17)都鳥英喜<モンティニーの秋>: |
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(22)川端弥之助<橋のある風景>: |
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(43)田中繁吉<パリージェンヌ>: あまりにキスリングそっくりな印象の絵に、購入することを少したじろいだくらいである。名前だけは知っていたが、彼の絵を注目して調べたこともなく、作品を購入してから経歴を調べるといった体たらくだった。関西出身の画家と関東の画家との描き方の違いは、洋画ばかりでなく日本画でも顕著に見られる。同じ時代に描かれた美人画を見ればその差は一目瞭然だし、風景画や静物画でもその差は出ている。昨今、大阪のお笑いが東京を席巻しているそうだが、美術の世界ではどうだろうか。 (44)御厨純一<フランス風景>: 北島浅一の項で触れた佐賀県立美術館での遺作二人展のひとりが御厨だ。拙著『石を磨く』で50号の大作<農耕図>を紹介しているが、これまでに私の視界を横切った御厨の遺作はこの2点だけだ。彼の芸大卒業制作である<凝議>と題された人物群像は、児島虎次郎の初期作品に通じるリアリズム絵画の系列にあり、そのような作品には是非巡り会いたいものだ。 (45)東郷青児<白い馬>: 東郷青児ほど世間的な知名度を保つ画家は多くない。オークションには必ずといってよい程に晩年の売り絵が出品されている。それらが本当に東郷自身のものかどうかの議論はここではしない。が、彼の本来の芸術的価値が不当に低く評価されている現実の理由の一端が、そういう作品の出回り方にあると言ってよい。一般に「東郷青児は高い」と考えられているが、私たちは東郷の評価はもっともっと上にならなければならないと考えている。そうした考えを支えているのが、本作のような時代の作品である。 (47)熊岡美彦<ブルターニュ少女>: 昨年のオークションカタログで本作に出会ったとき、槐樹社展の出品作で、30年前の熊岡美彦回顧展にも出ていたものだということは、手許の資料からすぐに分かった。当時のモノクロ図版からでも背景にクラックがあることは見て取れた。カタログの小さな図版をルーペで覗き込みながら作品の実際の保存状態などを想像し、今後必要とされる修復費用なども考えあわせて入札価格を考え、知人を通して注文を出した。オークション会場で実際の画面を検分した係の人から電話が入ったそうだ。相当に痛みがあって白いカビが表面を覆っており、保存状態が非常に悪いと心配してくれたのだ。そのようなことは、私たちのように古い時代の作品を発掘する仕事をしている者には当たり前のことなのだが、新画を中心に活動している方々にはとんでもないことなのだろう。幸い注文の範囲内で入札できて作品が画廊に届いた。なるほど相当に悪い状態には違いなかった。早速、懇意の修復家に無理をお願いして本展に間に合わせていただいた。こうして見事な作品として蘇ったことを喜んでいる。 (50)古家新<巴里郊外>: 阪神大震災以後、大阪や神戸の経済界は相当なダメージを受けた。大阪市立近代美術館の建設も宙に浮いたままである。そうしたことが地元大阪の重要な画家たちの支持基盤をも打壊してしまった。バブル景気破たん後の絵画不況の所為でもあるが、何か必要以上に無視されてしまったような気がする。古家新などはその荒波に不当に揉まれている画家のひとりだろう。大阪の会社で飾ってあった作品などが大量にオークションで処分されるなど、相場を下押しさせる要素ばかりで、私などでも所蔵の古家作品を画廊に飾ることも気が引けるほどだ。ここは辛抱のしどころ、いつかは彼の良さが陽の目を見ることもあろうと願っている。 |
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(51)園部邦香<国祭り(パリ)>: 最近のオークションに園部の他の作品が、作者不詳として出品されていた。画家の地元のコレクターか画商の誰かが買い求めてくれているとよいのだが、これといった入札価格にもならなかったところをみると、多分誰の目にも留まっていないのだろう。本作を見ても決して巧い画家とはいえないが、楽しめるモチーフであることからコレクションの1点としている。 (52)秋口保波<セーヌ河より塔を望む>: 前述の国松桂渓の例もあるが、滋賀県出身の洋画家は野口謙蔵を別にして、世間で知れ渡る機会が少ないのは残念なことだ。秋口と同じ彦根出身の大橋了介がかろうじて芦屋市立美術館で顕彰され、大津出身の黒田重太郎の遺作展がようやく滋賀県立近代美術館で実現したくらいだ。本作のような小品で秋口の画業を代表するのは大変気の毒ではあるが、今はこれしかないから我慢していただくしかない。 (54)木村磐男<南仏カーニュ・アルプスを望む>: 当方のホームページを見た方から電話がかかった。岡山在住のコレクターで地元出身の画家の作品を集めているが、木村磐男の経歴を教えてもらいたいとのことだった。第2回目の滞欧作品展に出品したときの資料しかなく、それを知らせたが、今回も同じ資料のみの紹介となった。国画創作協会展(洋画部)に出品しているし、京都の地名がいくつかの出品作品の題名に使われているところから、京都に居住していた公算が大なのに、私の力不足でまだ詳細の調査が宿題のままである。 (55)酒井精一<南佛風景>: よく知られているカ−ニュの風景である。ところが他の洋画家の油絵のようなめりはりという点では少し迫力に欠ける。画家の経歴を調べてみるとおぼろげながらその理由に思い当たった。師は石井柏亭であり、出発点となる研究所が日本水彩画研究所ということだ。なるほど水彩画的な油絵ならこのような仕上がりとなっても仕方がない。 (59)柏原覚太郎<プロヴァンスの春>: 柏原が戦後に参加した行動美術協会の出品作からは想像もつかないような絵である。今回の図録のために写真撮影しながら、明るい陽射しのプロヴァンスを、フォーヴのタッチで力強く、しかも気持ちよく描けていると改めて惚れ直した。 (60)三雲祥之助<マジョルカ島デア村にて>: 1982年に生前の三雲と本作の由来について手紙のやりとりをしたことがある。ショパンがはげしい恋物語の相手ジョルジュ・サンドと逃避行をした地として知られる、スペインのマジョルカ島の西部地方の山村風景だ。「人口2-3000人のところに毎年アメリカや欧州から20名以上の画家がきて仕事をしている変な村。デアから坂道15,6分歩いて浜にむかう所を描いた、毎日オリーブやグレープなどの堅いみどりに疲れた時に、このポプラの緑がやさしく感じられたからでしょう、そこで2枚描いた記憶がある」「どこか素人くさい絵ですが、気持ちはわるくないので大切にしてやってください」と三雲は書いている。久し振りに絵を倉庫から取り出してみた。どこかセザンヌの絵を見ているような気がして、うん、なかなか気持ちのいい絵だ、名作だなぁーと合点している。 (61)伊藤慶之助<ホントネーの丘>: 関西洋画壇の生き字引といわれた伊藤とは電話で数度おしゃべりをした以外、お目にかかったことがない。初期の頃の絵が好きで何点も所蔵しているが、1985年の西宮市大谷記念美術館での遺作展開催の後で、とりわけ珍しい初期作品2点と本作とを交換した。美術館は画家からたくさんの作品を寄贈してもらったが初期のものを補充する必要があり、私も伊藤の滞欧作が欲しかった。大阪の洋画家たちの不幸については古家新の項でも触れた。どうにもならない閉塞状況は、コレクターたちがほんの少し意識を変えることで蘇るはずだと考える。今が作品の買い時だと思うのだが…。 (62)石井弥一郎<巴里市外ニユイ風景>: 石井に限らず画家の没後に刊行される遺作画集が、その後の研究活動の根幹資料となることが多い。ところが残念なことに『石井弥一郎』画集だけは、年譜の作成がかなりずさんで、私の調査資料と突き合わせて確認するのが大変だった。年譜では大谷大学の教授になったとあるから、同大の教職員名簿を調べても名前が出て来ず、様々な展覧会の開催年が不正確だったりする。他山の石としたいところだが、本展のようにたくさんの画家たちの年譜を略年とはいえ揃えるのは大変な作業だ。たくさんの校正ミスや原本の写し間違いなどもあるだろうと心配している。それはそうと肝心の石井の作品だが、ちょっといい雰囲気ではありませんか。現場スケッチの瑞々しさや絵筆の躍動感は、音楽に例えるなら何がよいだろうか。ちなみに署名と年記は裏面にある。 |
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(63)瀬崎晴雄<Valee(谷)>: 本作を入手してからおよそ25年になるが、長い間、この作家についての情報が得られなかった。色彩感覚が他のどの日本人画家の滞欧作とも異っているので、無名画家とはいえ気掛かりでならなかった。1994年に上山二郎(吉原治郎の師)の展覧会を手がけた芦屋市立美術館の河崎氏に写真を見せて調査を依頼した。彼の守備範囲の画家だろうと考えた私の感は適中し、かなりの情報が得られることとなった。1998年に徳島県立近代美術館の江川氏が企画した、昭和初年頃の巴里で活動した、バロン薩摩と一群の日本人画家たちを回顧する展覧会で初めて紹介された。ちなみにその続編となる展覧会「エコール・ド・パリの魅力ー個性の輝きと滞仏日本人画家群像」展が、今夏より全国5ケ所を巡回する予定である。今から楽しみにしているところだ。 (67)アンドレ・ロート<裸体>: 大正期の滞欧日本人画家たちの多くがその影響を受けた画家であり、知名度もあるのに、残念ながら日本でその全貌を見る機会がない。それどころか経歴や資料を捜すのもひと苦労のありさまだ。今回の略年譜の作成も、滋賀県立近代美術館で黒田重太郎展を担当された学芸員、田平氏に力を貸していただいた。実は画廊の書架には、随分前に入手した『ロート画集』(1921年にパリで発刊された100限定の46番のもの)があるのだが、フランス語が読めないから図版をぺらぺらとめくり返すしかなかった。ひょっとしてこのカタログは非常に珍しいものではないのだろうか。ちなみに本作の裏面にB.Weillという人物の作品極めが次のように書かれている。「Andre' Lhote 38 rue Bouau Garantipar B.Weill」黒田重太郎の<港の女>(東京国立近代美術館蔵)や、当画廊が京都国立近代美術館に納めた<マドレエヌ・ルパンチ>などと一緒に陳列すれば興味深いものとなるだろう。 |
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(68)シャルル・ゲラン<室内婦人像>: ロートやビッシェールと共に日本の洋画家たちの指導者として知られるが、ゲランの実作品を目にする機会がほとんどない。霜鳥之彦の生前に、浅井忠の作品の鑑定が目的でお宅にお邪魔したことがある。通された応接間に霜鳥が描いたゲランの肖像画(1923年)が飾ってあった。生涯の師と仰いでいたのだろう。本作を見ていると、霜鳥の作品との類似性がよく分かる。師匠の画風を、構図から明暗の色調までよく習熟したものだと思う。付け加えておくが、こうした絵画の類似性を何ら恥じることはない。画家が先人に学ぶところは学び、自らの画境の深まりを図ることが非常に重要と認識されるべきだからだ。 |
霧島之彦「ゲランの肖像」 |
(69)(70):ブルリューク<富嶽、少女、猫など><富嶽山水図>: |
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(71)ロジェ・ビッシェール<薔薇を持つ婦人像>: |
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新発見のクレメンと |
京都の景観がどんどん破壊されてゆくのを見かねて、とうとう数年前にスイス本国に帰って行った。その後も、早くスイスに遊びに来いと何度も催促されている。彼が離日に際して挨拶に来られた折に、本作の裏面にある署名などを読み下してもらった。 (74)大橋エレナ<静物>: エレナがパリで結婚した大橋了介の作品を随分前に入手したことがあった。その頃の大橋の評判といえば、パリで佐伯祐三まがいの絵を描いた画家ということだ。大橋の作品のいくつかが、署名が改ざんされて佐伯祐三の作品として出回っていると古参の画商から聞かされた。たまたま佐伯の同時代に同じ所を同じようなタッチで描いていたことから、本人の知らないうちに偽作の作者とされてしまっていたのだ。大橋の作品が佐伯の作品として出回ることはまだ理解の範疇であるが、一時世間を大騒ぎさせた「大量の佐伯祐三の作品新発見!」の報道には驚いた。今だから言うが、その報道の前に一連の作品のスナップを京都で見せてもらったことがある。随分乱暴な筆使いで下手くそな絵ばかりだった。木枠からはずされたままの絵は、写真だけでは制作年は判別できなかったが、到底佐伯や大橋のレベルに達していない代物だった。佐伯 スタイルの油絵は彼の死後も多くの日本人画家の心をゆさぶり、ミニ佐伯祐三が全国に発生しただろうことは容易に想像出来る。そういう人たちと大橋了介とを同列にしないでくれと、いつかも書いたことがある。芦屋市立美術館で大橋了介・エレナ回顧展が開催されてから既に13年にもなる。大橋夫妻の出会いとその後の二人の足跡を追うことで、日本、フランス、そしてブラジル各国での文化交流の軌跡の一端が明らかとなる筈だ。 |
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