増原宗一の怪異とロマン 星野 万美子 |
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一方で、研究者があらゆる手を尽くして、少しでも作者自身のことや作品が生まれた状況や時代背景等を明らかにすることも、忘れてはならない重要事項なのだ。それはまたとない発見となって後世にいつまでも伝えられる。私達に更なる驚嘆と喜びをもたらし、鑑賞する楽しさは倍増するだろう。作品の一人歩きに伴って、影になり日なたになってなされなければならない本当に大切な仕事だと思う。この検証作業は、まだ状況が分かり得る、作者の生きていた時代にできるだけ近いうちにやっておかなければならないのがポイントである。今の私達には、他の誰でもない私達自身がやっておかねばならない仕事があるのだ。当画廊が目指す重点でもある。増原宗一のことも今のうちにもっと明らかにされることを願っている。紫式部のことは、その時代に近い人々が価値を見極め伝えてくれたおかげか、当時の人としてはかなり知られているのだろうし、今改めて近辺を調べ直すにはあまりにも遠過ぎる時代の人であろう。それでも、もしもっと新事実が分かれば、もっと面白いだろうし、もっと知りたいし、もっと楽しくなるだろう。 |
また<誇>(宗一画集−8、p.38)は、鳥の闘争が着物の柄になっており、女性の、今まさに恐い鳥の顔にならんとする凄まじい形相と共に、恐ろしく怪異である。増原の見ていた鳥というものは、花鳥風月の雅(みやび)なそれでは決してない、太古に闘争を繰り返していた巨大猛鳥の素質を持続している激しい鳥である。この資料図版から色が選別できないのだが、これ等の鳥を鷺(さぎ)と烏(からす)とするならば、昼と夜を表すかもしれない。或いは「鷺を烏」「烏を鷺」のことわざが意味するように、理を非に非を理に言いふくめ不合理を押し通すこととすれば、そのタイトルが示す通り、誇り高き故にそれらしき何らかの不条理な事象に対抗している、多分孕(はら)んでいる女性の怒りの像とも考えられる。 |
<毛抜きの姫君>(宗一画集−14、p.44)は、歌舞伎十八番のひとつ『毛抜き』にある、婚約中の姫君「錦の前」が毛が逆立つ奇病にとりつかれている、その場面を描いたものだろう。『毛抜き』は1842年(寛保2)に2代目市川團十郎が最初に演じ、1909年(明治42)市川左團次が復活させて現在に伝えられている。主人公の粂寺弾正(くめでらだんじょう)が毛抜きで鬚(ひげ)を抜いていたら、その毛抜きが勝手に立って踊り出すのに、銀の煙管(きせる)は反応しない。そのからくりから、怪しいのは天井裏と察して槍で突くと、忍びの者が磁石を操っており、姫の鉄のかんざしに反応させて毛を逆立たせていたのを見破るという話である。話の落ちは勇壮なものになってはいるが、女の命である長い黒髪が天に向かって逆立つさまは、女が持つ怪異な特性ゆえに人を震え上がらせる要素を備えており、話の中心となる強烈に印象的な部分である。増原は写真のネガのような逆接的な手法でその異常を表し、その髪はまるでメラメラと燃え上がる執念の炎のようでもある。 以上の5点はまだ未発見だが、怪異ゆえにどこかに息を潜めてじーっと隠れているのであろうか。これら増原の絵画には、怪異な女の表現に伴って、蛇や鳥(平和なというよりも攻撃的な気性の激しい鳥)が、不思議に効果的に絡んだり連想を誘うような設定となって登場するのも注目すべき点だと思う。 また植物の表現にもどこか怪異な趣味が覗(のぞ)いていると思う人もいるかもしれない。<ざくろ>(宗一画集−35、p.54)や<おもと>(宗一画集−33、p.54)はアニミズム的でもあるが、その題材の選び方や描き方といい、絵の真中に紅(あか)く熟した実を真正面に据え、周りに少し怪異的な葉っぱをアレンジしていることといい、男性の目から見た明らかな女性そのものを表現しようとした意図が感じられ、植物を描いたものとしては怪異と感じる人もあるだろう。他にも一見そうとは見えない作品も、どこかに怪異な要素を含んだものが多いのは事実で、ただ単に師が言う「怪異を好んだ」では済まされない何かがあるのだろう。怪異は何故こうもして増原の心を捉え、何故こんなに執拗にこだわって描かれなければならなかったのだろう。あるいは、はたして増原はそれをことさら怪異と意識して怪異を好み怪異を描こうとしたのだろうか。 |
[女性と文芸と水と] |
増原が他にも描いた浮舟に、<浮舟の君>(宗一画集−28、p.51)や<雪女>(宗一画集−23、p.50)の掲げる扇子の絵などがある。何故浮舟なのか。増原宗一はひょっとして宇治や三室戸(みむろど)あたりに住んでいたことがあるのかもしれない。<月の三室戸>(図版(10)、p.20)と、<同>(宗一画集−26、p.51)のように宇治川から見ただろう三室戸そのものを描いてもいるのだ。 |
<秋桜(こすもす)>(図版(12)、p.24)は、普通私達が慣れ親しんでいる赤やピンクのコスモスではなく、同じメキシコ原産でも少し系統の違うオレンジ〜黄色をしている「黄花コスモス」を描いている。黄花コスモスは今でこそ我が日本で品種改良が進み、姿も華やかになり初夏から咲いてくれるので人気が出てきたが、当時ならさして注目されることなく地味な存在だっただろう。葉の形もつき方も普通のコスモスとは全然違うのだが、増原は忠実に観察しており、その茎や葉の描く自然本来の真実の線をよく写し取っている。そうだからこそ、ただ単に美しいのではなく、真実ゆえの怪異を感じることもあるのだろう。ポピュラーなコスモスではなく、地味で蔭になっているからこそ新しくて繊細な、こんな綺麗なコスモスもあるんだよと言っているような、進取でデリケートな画家の眼が、女性に対すると同じように路傍の花に注がれた一点であろう。 |
増原の内に巻き起こった現実の女性と文学と自然との交錯、その歓喜は、思わず彼に絵筆を握らせた。複雑怪奇なあらゆる要素を内在した女性という存在が醸(かも)し出す、周りに渦巻きちょっとした動きで円を描く曲線、流れて取り巻く華麗で定まらない美しい線、それ等は計算できない、予測できない、そんな不思議な魅惑的な線であった。描かずにはいられなかったであろう。そして勢いそれは、これ以外にはない線となって画面に現れたのである。もっとも日本画家は多かれ少なかれそうしたものであろうが、増原が怪異と共に見たのは、渦巻く流麗な線の先にある永遠の美しさであり、夢のような甘美な世界であった。そこには花々が咲き乱れ、桜花爛漫(らんまん)の着物を纏った女性達を取り巻いているのだ。<笙>(宗一画集−6、p.36)や<春>(宗一画集−7、p.37)や<羅浮仙(らふせん)>(宗一画集−16、p.46)などは、そんな女性像である。花々は実に女性像によく似合い、そこに居るのはまさしくこぼれ咲く花のような天女であり、魅惑的なロマンの世界である。増原は決して怪異だけを好んでいたのではなく、怪異も真実のひとつ、しかしそれさえもが魅力となるような、そんな女性の内なる不思議さと哀れさと美しさとを見い出していたのではないだろうか、と思っている。それは、増原宗一だけではなく、平安の「源氏物語」の昔から、私達が延々と取り組んでいる永遠に解けない課題であるのかもしれない。 |
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