不染鉄とスウィフト―鳥になって虫になって     星野万美子


〔はじめに〕
 地球の温暖化かエルニーニョ現象か知らないが、熱帯にありがちな集中豪雨が日本の空を穿(うが)ち、春風は時に台風並みになって怒り狂い、黄砂が砂嵐になって来襲し、容赦なき暑さは大地を焦がし、酸性雨が花びらにシミを作る。しとやかな日本の四季がすっかり変わってしまった。私たちの心は、もっと変わって、もっと渇いてしまった、まるで熱帯や砂漠に置き去りにされた旅人のように‥‥‥
 不染鉄(ふせんてつ)、知る人ぞ知る異色の日本画家である。彼の絵を初めて見たら、誰しもがその風変わりさに驚き見入ってしまう。そして鑑賞を深めていくうちに、渇いた心に一滴の水がしみ落ち、広がって潤い、次第に癒(いや)されていくだろう。不染鉄は、若き日、京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で上村松篁のことを「都の公達(きんだち)」と呼んで親しく共に学び、成績は非常に優秀、肩を並べて活躍した。ところがその後の歩み方は、欲してかどうかは定かではないが、自由自在に生きて孤高の美の道を追求しようとするものだった。不染鉄が築いた独自の世界はなるほど異色と呼ぶにふさわしく、それでいて肩肘を張らず全く自由で、天空を駆け巡るような大きな精神性に溢れているのだ。渇ききった私たちは、その高い芸術性に打たれ、同時に彼の人生観や考え方にまで引きずり込まれて、しとやかな日本の四季に包まれたようにふと我にかえることだろう。
[「千の風」になっていた不染鉄]
 「私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにはいません。眠ってなんかいません。私は千の風になってあの大きな空を吹きわたっています・・・」で始まり、(逝(い)った)私が、風だけではなく光や雪、鳥や星にもなって、(遺(のこ)された)あなたといつもいっしょに居る、という歌が最近注目されている。作家で写真家、シンガーソングライターでもある新井満氏による訳詞作曲『千の風になって』という歌である。クラシック畑の新進のテノール歌手が高らかに歌う組合わせの斬新さと曲の美しさは、一度聞いたら忘れられず、また、その短いのにインパクトの大きい詩に涙を流す人は多いだろう。
 元々は先に「千の風」という、原典は不明のまま内容はほぼ同じの数種の英詩があった。欧米で亡くなった人を偲んでしばしば朗読される有名な詩でもある。2002.9.11ニューヨーク同時多発テロの一周忌で父を失った少女が朗読をしたことでも有名である。日本にも一部に早くから紹介されていたらしく、朝日新聞『天声人語』に「だれがつくったのかわからない一遍の短い詩が欧米や日本で静かに広がっている‥‥‥」と掲載されてからは広く知られるようになった。今では歌だけでなく本や映画にもなっている。何よりもその簡潔で明瞭な詩に時空を超えた普遍的な美しい内容が込められていることに感動させられるが、原詩の出所は依然不明である。逝った人が逆に遺された人に語りかけ慰めるという、極めて明るい発想の転換と清々しい教えは、世界中の人々の死の悲しみを癒し、未来への希望に繋ぎ、逝った人を身近に感じながら共に生きていく勇気を与えてくれるのである。
 この詩が人々の涙を誘うのは、難しい思想や宗教をも超えて、ひとの心の真実を見事に見抜いている発想の素晴らしさであろう。このような発想はいったいどこからどのようにして生まれたのであろうか。源(みなもと)を探してゆくと、ネイティヴアメリカンというのも説得力があるが、どうもケルトに辿り着くらしいのだ。多少英文学をかじった私は「うん、うん、」と頷いてしまうのである。ケルト(celt)を色濃
く受け継いでいるアイルランドの古い詩集に、そっくりの詩があるという。遠い昔にケルト伝説を通して発せられた普遍的なメッセージが、紆余曲折を経て英米の人々に伝えられ、海を越えてとうとう私達にまで届いた。その雄大なメッセージが、人の人たる原点をしっかり踏まえていればこそ、こんなに心に響くのだろう。

 死をむやみに畏(おそ)れない霊魂不滅や輪廻転生(りんねてんせい)の考え方は、日本あるいは東洋古来独特のものと思いがちだが、実はケルト語族にもアメリカ先住民にも共通している世界観であるらしい。世界中探せばそういう文化がもっと他にもあるだろう。身体は死んでも魂は生きて現世のあなたと一緒に居るという「千の風」が、そのように洋の東西を問わない共通した世界観の中から生まれた発想であるならば、不染鉄が生きながらにして「千の風」のようになって、その目で現世と来世を見渡していた‥‥‥と考えても不思議ではない。不染鉄の芸術は、そんなことをふっと思い起こさせてくれるのだ。不染鉄の見つめていたものは、現実であり現実を超えたものであり、空であり海の底であり、生死の境目を問わない、まことの美しいものだけだったのではないだろうか。
[ケルトにおける日本文化との類似点]
 画題の選択からして非常に日本的な発想と思える不染鉄が、知らずしてケルト発祥の「千の風」のようになっていたとして、いったいケルトと日本は似たところがあるのか、あるとしたらどのように似ているのだろうか。最近各方面の方々の研究から、現在アイルランド等に残っているケルトのなごりは、意外や欧米人の通常の理解とは遠いものがあって、どちらかと言うと私たち日本人の方が文化的に似ていて理解しやすいことが多いということだ。反面、欧米の各地には、例えば魔女や妖精の話、ハロウインの行事、ケルト民謡発祥の愛唱歌「蛍の光」や「庭の千草」、数々のファンタジー小説や映画等々、ケルトを起源にするものが氾濫して見受けられ、多大な影響を受けていることも事実である。
 ケルトはまだまだ謎に包まれている。私たちは、ヨーロッパといえば、西洋文化の二大源流説、つまり古代ギリシャ・ローマのヘレニズム、ユダヤ教・キリスト教のヘブライズムを基礎とした思想や歴史観で判断することに慣らされ、もうひとつのヨーロッパであるケルトを理解することに少々疎かった気がする。「ケルト」とは、元々はインド・ヨーロッパ語族のうちのケルト語を話す多民族を指す言語学的名称で、人種の名前でも明確な文化の名称でもなくて、言語、神話、考古、美術等を含むヨーロッパの一文化としての概念である。彼らは共通の宗教や文化を持って有史以前から重要な位置を占め、例えば紀元前5世紀頃にはすでに欧州の内陸部全域に広がって勢力を誇り、ギリシャやローマの地中海文化圏を脅かす存在であったという。ローマやゲルマンの勢力に押されて次第にヨーロッパ最西端にまで追いやられたが、世界観とか考え方の感性的領域でケルトの果たす役割は大きく、後発の文化に少なからず影響を与え、また姿を変えて、脈々と生きづいてきた、ヨーロッパのもうひとつの文化なのである。
 ケルト理解の手がかりは、ケルト語族の農民伝承の神話や民話なのだが、彼らは碑文に残っている魔力を持つというオガム文字以外は文字を持たず、言葉の力が強く信じられて口伝の伝承を旨としていた。その特徴ゆえに文献で辿りにくく難解になっているようだ。現在残っている民話等の多くは、後のキリスト教徒によって、イギリス統治下の英語を話すアイルランド農民の民話をも含めて、英語で文字化されたものらしい。
 彼らの文化は自然崇拝・精霊信仰であり、霊魂不滅と輪廻転生の概念に基づいていて、民話も少々沈鬱(ちんうつ)なものが多いのが特徴のひとつである。私たちがイメージする妖精が舞うメルヘンの世界だけではなさそうなのである。そこには、怖い話や魔術、どうにもならない自然の摂理や死後の世界が絡んでいるのだ。かのカエサルも辺境の地アイルランドへは侵略しなかったのだが、あくまで現世の人間中心で合理主義で国家を築くのに長けていた古代ローマは、自分たちの考え方とあまりに違う、特に輪廻転生の死生観を持つケルトの人々を恐れたという話もある。ケルトが私たちが西欧社会に対して抱いている論理的合理的通念と如何に違ったものであるかをよく表している例であろう。
 ケルトの神話や民話は、むしろ私達日本人にとって、とても親近感が湧くものであるのだ。ケルトの自然と精霊の崇拝は、神はひとつとされるキリスト教が流布した地域に既存したとは到底思えないような、自然のそこここに神々が存在するという日本の神話的な考えや、一木一草に仏性を見る教えに類似している。また神に召されるキリスト教の考えと違って、霊魂は生き続け輪廻して転生するという、私たちに馴染(なじ)み深い考え方をしているようだ。
 ケルト民話によく登場する妖精は、「神々が次々と現れたが、最後の神族は半神半人族に追われて敗れ、地下や海の彼方の楽園に逃れた。元を正せば“太古の土着の神々“であった彼らは、もはや崇拝されず供物も捧げられず、どんどん小さくなって20〜30cmになって妖精と呼ばれるようになった。それから人間の歴史が始まったのだが、彼らが気まぐれで意地悪なのはそのせいで、人々は彼らを『グッド・ピープル』と呼び丁寧に扱って仲良くし、かつ恐れた。」というものである。羽を持った可愛い妖精という面と共に、日本の妖怪変化(ようかいへんげ)を連想させるようなものでもあるのだ。また人々の妖精との接し方も、私たちの諺(ことわざ)にある「触らぬ神に祟(たた)りなし」というのに似ている。ケルトの人々は強力な国家を形成することに無関心で、個の内面性、つまり人が生きることの意味や精神性をひたすら追 い求め、不可解不可侵の要素を備えた神秘的で希有(けう)な文化を携(たずさ)えているのであり、いわゆる西洋文化の一般的な理解とは一線を画したものがある。島国であまり邪魔されずに、自然を畏れ、内面を見つめゆっくりと独自のものを築いてきた、それ故か今でも神秘的な捉え方をされる日本文化と、根本的なところでよく似ているように思われる。
 キリスト教流布以前、遠い昔にヨーロッパを東から西まで席巻したケルトの人々が、遠く離れた日本の昔と同じような精霊崇拝をしていた、この発見は驚きである。そういえば、日本の昔話をこよなく愛した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はアイルランド出身であり、ケルトの精霊が息づいている故郷の大地と共通した何かを、日本に見いだしていたのかもしれない。また別の研究によると、アメリカ先住民にも同じような世界観や考え方が見受けられるという。つまるところ、人が自然を畏れ崇拝したのは、或は霊魂不滅を信じたのは、洋の東西を問わず自然発生的なものであったのだろうか‥‥‥人は、人種が違っても住むところや時代が違っても、ひょっとして非常によく似ていて、感じたり考えたりする原点は同じであるのかもしれない。不染鉄がケルト的発想をしても少しも不思議はないということになる。
[鳥になって、虫になって]
 不染鉄は、一時期実際に生活して漁師をしたことのある伊豆大島を題材とした絵をいくつも描いている。それ等はよく「海蓬莱(うみほうらい)」と例えられるが、現世を超越した凄さと美しさとを同時に備えた素晴らしい絵である。また、永住の地になった奈良の山村や歴史ロマンと共存する風景を、「陸蓬莱」とでも呼びたいような暖かく心安らぐタッチで詩情豊かに描いており、それ等はいずれも絶品である。
 一般的に伝統の絵画の世界にあっては、蓬莱の山を深山や剣山また桃源郷を想起させる、世俗離れした山奥にあるとして描いたものが多いなかで、不染鉄は、現実のおだやかな海辺と山村の風景をも組み入れた中で蓬莱を見ようとしているのではないか。富士山とその麓(ふもと)と海を描いた素晴らしい大作『山海図絵』(大正14年、第6回帝展出品作、木下美術館蔵)があるが、彼にとってはその絵にも富士山だけでなく、その麓に於ける人々の暮らしを彷彿させる山村や海辺の描写が重要だったのではと思えるのである。
 中国の神仙思想では、五神山のひとつが東方の海(渤海か)にある蓬莱仙島(台湾か日本か)で、険しい山々が天に向かって屹立(きつりつ)したその島は、遠くからは雲に見え、近づくと海の下になり、足を着けようと思うと風が吹いて遠ざかって消えていく‥‥そこには不老不死の妙薬があるという。不染鉄は、島を雲や霞の中に浮かんでいるように、剣山が霞の中へ消えて天に還って行くように描いている。海の中や底を見通しては、海底に山々が連なっているかと思うと空に魚が泳いでいたり、実にファンタジックに不思議に楽しげに、そして美しく描いている。頭の中にしかない世界を、卓越した構成力と巧みな筆さばきと天才的な色の使い方で以って、「それ(蓬莱仙島)はここにあるよ」と、易々と目の前に現出してくれ、私たちを唸らしてくれるのだ。目に見えないものを、こんなに詩情豊かに絵画的に美しく表現する力は凄いと言うしかない。いったい今までにこのような絵があっただろうか‥‥‥

 不染鉄の世界はただそれだけではない。私たちを惹きつけて止まないもうひとつの魅力的で重要なポイントは、霞の蓬莱の中に漁村や山村等の人間生活を組み込んだ上で、手の届きそうな、夢ではない別世界を構築していることである。まるで身近な山村や海辺の生活の場にも「みごとな蓬莱が実はあるじゃないか」と教えているような、「よく見てごらん。霞んで消えていくような蓬莱ではなくて、本当に見える蓬莱はちゃんと現実の清らかな世界にあるじゃないか」と語っているような、現実であり現実を超えた、生も死をも乗り越えた、天空を駆ける自由な精神にしか見えない、美しい不染鉄の独自の世界が生まれた。
 みごとな蓬莱、本当に見える蓬莱は、例えあったとしても、それを「見る力」がなくては見えてこない。いったい彼の頭には、どのような目で、どのようにして見た光景が詰まっていたのだろうか。生きながら千の風になっていた彼は、その生きた目で鳥になって見よう見ようとしたに違いない。鳥の目で、大きいもの遠いものも、遠のいて近づいて、まるで鳥が生きる糧(かて)を探すように、鳥があの小さい身体で気の遠くなるような遠方への渡りをするように、どこまでも飛んで追っていたのだろう。 千の風は時に地上に舞い降りて、虫になって小さくなって、鳥には見えないものまでもっと間近に、地中にまで潜り込んで覗いたに違いない。魚にもなって海中を泳いだのかもしれない。そして天空を駆ける大きな精神で鳥になって飛んでみないと見えない風景を、虫眼鏡で見るほど細かい描写を施して作品を創っているのだ。ミクロコスモスのひとつの点が永々とマクロの宇宙へと繋がっていく、それを見る目を不染鉄は持っていて、常にそういう目でものごとを捉えていたと言えるだろう。その「見ようと思えば」が大切であって、不染鉄自身が「正しい心」で「いい人」になり「いい美しい絵」を描かねばと書き残しているように、澄んだ心の目にこそ鮮やかに映し出されるものがあったことだろう。欲に捕われない開放された自由闊達(かったつ)な精神を持っていればこそ伝わってくるものであっただろう。
[スウィフトの目、不染鉄の目]
 不染鉄が鳥になって虫になって見たものは、蓬莱であったようだが、「海蓬莱」と言われる絵を初めて見た時、私は「あっ!これはガリヴァーのラピュタだ」と驚いた。『ガリヴァー旅行記(Gulliver's Travels)』(1726)第三編にある「飛び島」である。島全体が大きな磁石の力で自由に空へ飛んだり地に降りたりする、普通に考えたらおかしいことだが、そこまでして作者が見ようとするもの、或は表現しようとする視点、その同位置の目だ、不染鉄は紛(まぎ)れもないその目で見ている、と咄嗟(とっさ)に感じたのである。「飛び島」にいる王は地上に領地があり、上がったり下がったりして国を治めており、ガリヴァーも同じように天地を上下するのだが、見えたものをクールに他人事のように表現しながら、実は人の本性を懸命に見抜こうとしているのである。作品全編がそういうことだと思うが、視点を変えたそこからは、普通では見えないものが見えてくるに違いないのだ。
 童話として読まれる小人国や大人国はもちろん、作者のジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)は、主人公のガリヴァー(愚者の意)が、「飛び島」以外にも、不死人間がいる国や魔法使いの島や日本、馬人の国に渡航して体験するという設定で作品を書いている。(余談ではあるが、馬人の国に出てくるヤフーは、インターネット検索でお馴染みのYahooの語源かとも言われている。)スウィフトの頭にあったもの は、ただのお話や空想ではない、鳥にも虫にもなって自由に天と地を飛び交って、発想を拡大縮小して、人の、或は世の中の何たるかを見ようとしたのであろう。この天空を駆ける自由な発想は合理主義とはかけ離れたもので、古代の神々が遠方の海の彼方の楽園に逃れて妖精になったというような、超現実の感性を備えたケルトの影響以外の何ものでもないと私は思う。

 『ガリヴァー旅行記』には全編に亘って、母国イギリスに対するアイロニー(皮肉)がびっしり詰め込まれている。日本では考えられないが、スウィフトに限らずイギリスではそれは極く当たり前のことで、文学や版画等の美術によく見られる。とは言え、スウィフトの風刺は強烈そのもので、私はそれは人類全体に対してでもあると読んでいる。いろいろな島や国に出てくる種々の人々(動物?)は、人類の変形であり、あまりに冷酷に人を見抜いているので的を得ており、チクチク胸に針が刺さる。いわば、人間の愚の骨頂みたいなものをこれでもか、これでもかと並べており、それだからこそ面白おかしいし、奥が深いし、楽しいし、人は愛すべき醜く哀れなものだと言わんばかりなのだ。
 スウィフトは、両親はイングランド人だと言われているが、アイルランド生まれ、ダブリンのトリニティ−カレッジを出てアイルランドの司祭を務めるなど、イングランドとアイルランドを行き来した人物である。スウィフトは、デフォーが『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』(1719)で航海譚の形をとりながら主人公に自分の人間観を語らせたり、愛読書であったモアの『ユートピア』(1516)の中で、イングランドの、特に拝金主義を助長する政治と社会への批判が盛り込まれていることに刺激を受けたと思われる。しかし、もっと彼を支配しているのは、破天荒な、天空を駆け巡る、まるで天地の創造主の目から見たような、違う角度の視点ではないだろうか。当時の社会は人間中心に重きを置き、何が何でも現実的で合理的な考え方が支配的だった。その反対の極にあるものを見ようとして、人間を冷徹に客観的に、全体の中の一存在として見ようとした時、ケルトの世界観が息づくアイルランドの影響を受けたとしても、それは自然の成り行きだろう。スウィフトの頭の中を駆け巡った世界の数々は、ケルトの生死を超えた広いものの見方をしてこそ、精霊の渦巻く深い世界のものの見方をしてこそ、形が見えてくるだろうから。
 ガリヴァーは「不死人間がいる国」のよしみで日本にも寄るのだが、その国については、どうも中国の神仙思想や、秦の始皇帝が不老不死の妙薬を蓬莱仙島へ探しに行かせた話を十分意識しているように思えるのだ。もしそうだとしたら、この時代にしてそういう思想を自作に取り入れて批判していることが目を引くし、ケルト的発想なくしてこのような眉唾(まゆつば)ものに西欧人が興味を留(とど)めることはなかったように思う。日本についての記述は、『ガリヴァー旅行記』の中で唯一の現存国家として出てくるのだが、踏み絵を何とか免れた短い話で終わっており、残念ながらはっきり日本人と思われる人間の描写は少なく、そこがあったらきっと興味倍増することだろう。ガリヴァーと日本との関係については、オランダ船医として鎖国中の日本に住んだドイツ人ケンペルが『日本誌』(1727)を出しているように、当時の日本のことはオランダ等を通じてかなり紹介されており、日本が「小人国」や、「馬人の国」及びヤフーのモデルにもなっている可能性を考える説もある。
 一方不染鉄は、スウィフトと同じ目を持ちながら進んだ方向は違っていた。スウィフトが人間批判に終始することで真実を見つけようとしたのに対し、彼は自然と共にいる人間生活の中にこそ極楽浄土や蓬莱があることを切に念願して見い出そうとした。端的に言ってしまえば、鳥の目を持ちつつ虫にもなって近くへもっと近くへとえぐって行き、その先に見えた醜さの中から真実を見いだそうとしたのがスウィフトであり、鳥になって虫になって鳥に還って、美しい自然と人間の折衷から真実という理想を見つけていこうとしたのが不染鉄であろう。どこまでも葛藤(かっとう)したスウィフトと、自然の元へ避行した不染鉄、それは結果として西洋と東洋の違いだと言われそうだが、人間の真実発見の旅に出たふたりが、発想を同じところから展開させた点に注目したい。

[飛ぶことを忘れた私たち]
 美しいものやまことのものに憧れる気持ちは、他の動物とは一線を画して人が持って生まれた最大の誇れる特徴であろう。また人は、人種や場所や時代や環境がどんなに大きく変わろうとも、ケルトと日本の文化のように、スウィフトと不染鉄の目のように、感じることや考えることはその原点に於いては大差なく、そういうことが共通して人を人たらしめていると思う。原点にある素直な知的な本質を活かさず見失ってしまった時に、高いIQを備えた人はその壮烈な自らの保身術や併せ持つ貪欲(どんよく)と嫉妬(しっと)という悪癖ゆえにいろいろな弊害や争いを起こし、人の歴史は、どちらかと言うと、結果として起こった弊害や争いを語ることが多いように思う。そんな中にあって、私達は人の原点を決して忘れたのではないと思いたいし、絶対に忘れてはならないだろう。人が動物から遥かに進化して折角築いた人としての”在りよう”を無くしたら、私達はもはや人ではなく、動物でもなく、後は六道(ろくどう)に習う阿修羅(あしゅら)をも通り越して、畜生よりも下位の餓鬼(がき)にでもなるのだろうか。昔から、人は人の道を歩くべしで、阿修羅はすでに人ではなく、けもの道を歩いても到達することはなく、人の道を外すことは畜生(ちくしょう)以下の餓鬼になるに等しいとの教えがある。一歩間違えば、醜いことこの上ない『ガリヴァー旅行記』のヤフー以下になってしまうのだ。
 まことのものだけが本当に美しい。大意に従って存在する自然の美しさを否定する人はまずいないだろう。そしてまた、人が造り上げる至高の「芸術」に触れるとき、人が如何に知的で美しく崇高であるか、それは他の動物の追随を許さない無限大に広がる人知の素晴らしさであるということを知って、同じように圧倒されるであろう。人の原点を見つめたものであるからこそ、芸術に国境はなく、時をも超えるのである。
 風になって鳥になって見れば、見えてくるものは、決して悲観するものでもなく醜いものでもなく、ましてや愛する人をひとりぼっちにするものでもない。居なくなったのではなく、千もの風になって生きているから‥‥‥現世の醜くくて本当は要らないものを、あれもこれもすべて削り落としてゆけば見えてくる、人が人たる所以(ゆえん)の何かを鳥になって虫になって見れば、そこには時も場所も超えた普遍のまことの美しさがあるに違いない。醜い弊害や争いが消え失せた静かな平穏な世界である。不染鉄が追求し続け描こうとした世界である。
 日頃のせわしさにかまけ煩雑な世事に惑わされて、飛ぶことを忘れた私たちである。空想や童話やお話はなにも子供だけのものではない。『ガリヴァー旅行記』は大人向きに書かれたのである。子供には夢を持たせるように仕向けるが、大人は目の前の現実だけになんとか対処していればいいのではない。昨今の私たちはあまりに個の利益だけに固執しており、子供に持たせたいとする夢を忘れている。ひょっとして子供に持たせたい夢も将来の個の利益のみに関連したものとするなら、大きな間違いである。そういう夢からは何も生まれてこないだろう。人の可能性をへし折るだけのことだろう。現実があるならば必ずそれを取り巻く世界があり、現在は過去からやって来て未来へ繋がって行く、宇宙があって地球があり、自然があって人間界があり、歴史の積み重ねでできた社会あって個人があるのだろう。私たちはマクロがミクロに、ミクロがマクロに変幻してなお必然の帰結として繋がっているという認識を再確認しなくてはいけない。虫の目で見ることはとても大切で、でもそれは個の利益をちまちまと諮(はか)ることではなく、真実を詳しく見るためであろう。そのためには鳥になって大きく飛んで全体を見渡さねばならない。人が持って生まれた真と美への憧れを開放したときに何かが見えてくる筈だ。その時、現実に対して未来の幸せに繋がる正当な判断と妥当な対処ができることだろう。
 スウィフトは馬鹿げていない。不染鉄の絵はただの夢の世界ではない。私たちも、鳥になって飛んでみたらいいのだ。生きながらにして千の風になって大空を駈けてみたらいい。きっとわからなかった大切なものが見えてくる気がする。

                        2007(平成19)年3月


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