不染鉄とスウィフト―鳥になって虫になって 星野万美子 |
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死をむやみに畏(おそ)れない霊魂不滅や輪廻転生(りんねてんせい)の考え方は、日本あるいは東洋古来独特のものと思いがちだが、実はケルト語族にもアメリカ先住民にも共通している世界観であるらしい。世界中探せばそういう文化がもっと他にもあるだろう。身体は死んでも魂は生きて現世のあなたと一緒に居るという「千の風」が、そのように洋の東西を問わない共通した世界観の中から生まれた発想であるならば、不染鉄が生きながらにして「千の風」のようになって、その目で現世と来世を見渡していた‥‥‥と考えても不思議ではない。不染鉄の芸術は、そんなことをふっと思い起こさせてくれるのだ。不染鉄の見つめていたものは、現実であり現実を超えたものであり、空であり海の底であり、生死の境目を問わない、まことの美しいものだけだったのではないだろうか。 [ケルトにおける日本文化との類似点] 画題の選択からして非常に日本的な発想と思える不染鉄が、知らずしてケルト発祥の「千の風」のようになっていたとして、いったいケルトと日本は似たところがあるのか、あるとしたらどのように似ているのだろうか。最近各方面の方々の研究から、現在アイルランド等に残っているケルトのなごりは、意外や欧米人の通常の理解とは遠いものがあって、どちらかと言うと私たち日本人の方が文化的に似ていて理解しやすいことが多いということだ。反面、欧米の各地には、例えば魔女や妖精の話、ハロウインの行事、ケルト民謡発祥の愛唱歌「蛍の光」や「庭の千草」、数々のファンタジー小説や映画等々、ケルトを起源にするものが氾濫して見受けられ、多大な影響を受けていることも事実である。 ケルトはまだまだ謎に包まれている。私たちは、ヨーロッパといえば、西洋文化の二大源流説、つまり古代ギリシャ・ローマのヘレニズム、ユダヤ教・キリスト教のヘブライズムを基礎とした思想や歴史観で判断することに慣らされ、もうひとつのヨーロッパであるケルトを理解することに少々疎かった気がする。「ケルト」とは、元々はインド・ヨーロッパ語族のうちのケルト語を話す多民族を指す言語学的名称で、人種の名前でも明確な文化の名称でもなくて、言語、神話、考古、美術等を含むヨーロッパの一文化としての概念である。彼らは共通の宗教や文化を持って有史以前から重要な位置を占め、例えば紀元前5世紀頃にはすでに欧州の内陸部全域に広がって勢力を誇り、ギリシャやローマの地中海文化圏を脅かす存在であったという。ローマやゲルマンの勢力に押されて次第にヨーロッパ最西端にまで追いやられたが、世界観とか考え方の感性的領域でケルトの果たす役割は大きく、後発の文化に少なからず影響を与え、また姿を変えて、脈々と生きづいてきた、ヨーロッパのもうひとつの文化なのである。 ケルト理解の手がかりは、ケルト語族の農民伝承の神話や民話なのだが、彼らは碑文に残っている魔力を持つというオガム文字以外は文字を持たず、言葉の力が強く信じられて口伝の伝承を旨としていた。その特徴ゆえに文献で辿りにくく難解になっているようだ。現在残っている民話等の多くは、後のキリスト教徒によって、イギリス統治下の英語を話すアイルランド農民の民話をも含めて、英語で文字化されたものらしい。 彼らの文化は自然崇拝・精霊信仰であり、霊魂不滅と輪廻転生の概念に基づいていて、民話も少々沈鬱(ちんうつ)なものが多いのが特徴のひとつである。私たちがイメージする妖精が舞うメルヘンの世界だけではなさそうなのである。そこには、怖い話や魔術、どうにもならない自然の摂理や死後の世界が絡んでいるのだ。かのカエサルも辺境の地アイルランドへは侵略しなかったのだが、あくまで現世の人間中心で合理主義で国家を築くのに長けていた古代ローマは、自分たちの考え方とあまりに違う、特に輪廻転生の死生観を持つケルトの人々を恐れたという話もある。ケルトが私たちが西欧社会に対して抱いている論理的合理的通念と如何に違ったものであるかをよく表している例であろう。 |
ケルトの神話や民話は、むしろ私達日本人にとって、とても親近感が湧くものであるのだ。ケルトの自然と精霊の崇拝は、神はひとつとされるキリスト教が流布した地域に既存したとは到底思えないような、自然のそこここに神々が存在するという日本の神話的な考えや、一木一草に仏性を見る教えに類似している。また神に召されるキリスト教の考えと違って、霊魂は生き続け輪廻して転生するという、私たちに馴染(なじ)み深い考え方をしているようだ。 ケルト民話によく登場する妖精は、「神々が次々と現れたが、最後の神族は半神半人族に追われて敗れ、地下や海の彼方の楽園に逃れた。元を正せば“太古の土着の神々“であった彼らは、もはや崇拝されず供物も捧げられず、どんどん小さくなって20〜30cmになって妖精と呼ばれるようになった。それから人間の歴史が始まったのだが、彼らが気まぐれで意地悪なのはそのせいで、人々は彼らを『グッド・ピープル』と呼び丁寧に扱って仲良くし、かつ恐れた。」というものである。羽を持った可愛い妖精という面と共に、日本の妖怪変化(ようかいへんげ)を連想させるようなものでもあるのだ。また人々の妖精との接し方も、私たちの諺(ことわざ)にある「触らぬ神に祟(たた)りなし」というのに似ている。ケルトの人々は強力な国家を形成することに無関心で、個の内面性、つまり人が生きることの意味や精神性をひたすら追 い求め、不可解不可侵の要素を備えた神秘的で希有(けう)な文化を携(たずさ)えているのであり、いわゆる西洋文化の一般的な理解とは一線を画したものがある。島国であまり邪魔されずに、自然を畏れ、内面を見つめゆっくりと独自のものを築いてきた、それ故か今でも神秘的な捉え方をされる日本文化と、根本的なところでよく似ているように思われる。 キリスト教流布以前、遠い昔にヨーロッパを東から西まで席巻したケルトの人々が、遠く離れた日本の昔と同じような精霊崇拝をしていた、この発見は驚きである。そういえば、日本の昔話をこよなく愛した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はアイルランド出身であり、ケルトの精霊が息づいている故郷の大地と共通した何かを、日本に見いだしていたのかもしれない。また別の研究によると、アメリカ先住民にも同じような世界観や考え方が見受けられるという。つまるところ、人が自然を畏れ崇拝したのは、或は霊魂不滅を信じたのは、洋の東西を問わず自然発生的なものであったのだろうか‥‥‥人は、人種が違っても住むところや時代が違っても、ひょっとして非常によく似ていて、感じたり考えたりする原点は同じであるのかもしれない。不染鉄がケルト的発想をしても少しも不思議はないということになる。 [鳥になって、虫になって] 不染鉄は、一時期実際に生活して漁師をしたことのある伊豆大島を題材とした絵をいくつも描いている。それ等はよく「海蓬莱(うみほうらい)」と例えられるが、現世を超越した凄さと美しさとを同時に備えた素晴らしい絵である。また、永住の地になった奈良の山村や歴史ロマンと共存する風景を、「陸蓬莱」とでも呼びたいような暖かく心安らぐタッチで詩情豊かに描いており、それ等はいずれも絶品である。 一般的に伝統の絵画の世界にあっては、蓬莱の山を深山や剣山また桃源郷を想起させる、世俗離れした山奥にあるとして描いたものが多いなかで、不染鉄は、現実のおだやかな海辺と山村の風景をも組み入れた中で蓬莱を見ようとしているのではないか。富士山とその麓(ふもと)と海を描いた素晴らしい大作『山海図絵』(大正14年、第6回帝展出品作、木下美術館蔵)があるが、彼にとってはその絵にも富士山だけでなく、その麓に於ける人々の暮らしを彷彿させる山村や海辺の描写が重要だったのではと思えるのである。 中国の神仙思想では、五神山のひとつが東方の海(渤海か)にある蓬莱仙島(台湾か日本か)で、険しい山々が天に向かって屹立(きつりつ)したその島は、遠くからは雲に見え、近づくと海の下になり、足を着けようと思うと風が吹いて遠ざかって消えていく‥‥そこには不老不死の妙薬があるという。不染鉄は、島を雲や霞の中に浮かんでいるように、剣山が霞の中へ消えて天に還って行くように描いている。海の中や底を見通しては、海底に山々が連なっているかと思うと空に魚が泳いでいたり、実にファンタジックに不思議に楽しげに、そして美しく描いている。頭の中にしかない世界を、卓越した構成力と巧みな筆さばきと天才的な色の使い方で以って、「それ(蓬莱仙島)はここにあるよ」と、易々と目の前に現出してくれ、私たちを唸らしてくれるのだ。目に見えないものを、こんなに詩情豊かに絵画的に美しく表現する力は凄いと言うしかない。いったい今までにこのような絵があっただろうか‥‥‥ |
不染鉄の世界はただそれだけではない。私たちを惹きつけて止まないもうひとつの魅力的で重要なポイントは、霞の蓬莱の中に漁村や山村等の人間生活を組み込んだ上で、手の届きそうな、夢ではない別世界を構築していることである。まるで身近な山村や海辺の生活の場にも「みごとな蓬莱が実はあるじゃないか」と教えているような、「よく見てごらん。霞んで消えていくような蓬莱ではなくて、本当に見える蓬莱はちゃんと現実の清らかな世界にあるじゃないか」と語っているような、現実であり現実を超えた、生も死をも乗り越えた、天空を駆ける自由な精神にしか見えない、美しい不染鉄の独自の世界が生まれた。 |
『ガリヴァー旅行記』には全編に亘って、母国イギリスに対するアイロニー(皮肉)がびっしり詰め込まれている。日本では考えられないが、スウィフトに限らずイギリスではそれは極く当たり前のことで、文学や版画等の美術によく見られる。とは言え、スウィフトの風刺は強烈そのもので、私はそれは人類全体に対してでもあると読んでいる。いろいろな島や国に出てくる種々の人々(動物?)は、人類の変形であり、あまりに冷酷に人を見抜いているので的を得ており、チクチク胸に針が刺さる。いわば、人間の愚の骨頂みたいなものをこれでもか、これでもかと並べており、それだからこそ面白おかしいし、奥が深いし、楽しいし、人は愛すべき醜く哀れなものだと言わんばかりなのだ。 スウィフトは、両親はイングランド人だと言われているが、アイルランド生まれ、ダブリンのトリニティ−カレッジを出てアイルランドの司祭を務めるなど、イングランドとアイルランドを行き来した人物である。スウィフトは、デフォーが『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』(1719)で航海譚の形をとりながら主人公に自分の人間観を語らせたり、愛読書であったモアの『ユートピア』(1516)の中で、イングランドの、特に拝金主義を助長する政治と社会への批判が盛り込まれていることに刺激を受けたと思われる。しかし、もっと彼を支配しているのは、破天荒な、天空を駆け巡る、まるで天地の創造主の目から見たような、違う角度の視点ではないだろうか。当時の社会は人間中心に重きを置き、何が何でも現実的で合理的な考え方が支配的だった。その反対の極にあるものを見ようとして、人間を冷徹に客観的に、全体の中の一存在として見ようとした時、ケルトの世界観が息づくアイルランドの影響を受けたとしても、それは自然の成り行きだろう。スウィフトの頭の中を駆け巡った世界の数々は、ケルトの生死を超えた広いものの見方をしてこそ、精霊の渦巻く深い世界のものの見方をしてこそ、形が見えてくるだろうから。 ガリヴァーは「不死人間がいる国」のよしみで日本にも寄るのだが、その国については、どうも中国の神仙思想や、秦の始皇帝が不老不死の妙薬を蓬莱仙島へ探しに行かせた話を十分意識しているように思えるのだ。もしそうだとしたら、この時代にしてそういう思想を自作に取り入れて批判していることが目を引くし、ケルト的発想なくしてこのような眉唾(まゆつば)ものに西欧人が興味を留(とど)めることはなかったように思う。日本についての記述は、『ガリヴァー旅行記』の中で唯一の現存国家として出てくるのだが、踏み絵を何とか免れた短い話で終わっており、残念ながらはっきり日本人と思われる人間の描写は少なく、そこがあったらきっと興味倍増することだろう。ガリヴァーと日本との関係については、オランダ船医として鎖国中の日本に住んだドイツ人ケンペルが『日本誌』(1727)を出しているように、当時の日本のことはオランダ等を通じてかなり紹介されており、日本が「小人国」や、「馬人の国」及びヤフーのモデルにもなっている可能性を考える説もある。 一方不染鉄は、スウィフトと同じ目を持ちながら進んだ方向は違っていた。スウィフトが人間批判に終始することで真実を見つけようとしたのに対し、彼は自然と共にいる人間生活の中にこそ極楽浄土や蓬莱があることを切に念願して見い出そうとした。端的に言ってしまえば、鳥の目を持ちつつ虫にもなって近くへもっと近くへとえぐって行き、その先に見えた醜さの中から真実を見いだそうとしたのがスウィフトであり、鳥になって虫になって鳥に還って、美しい自然と人間の折衷から真実という理想を見つけていこうとしたのが不染鉄であろう。どこまでも葛藤(かっとう)したスウィフトと、自然の元へ避行した不染鉄、それは結果として西洋と東洋の違いだと言われそうだが、人間の真実発見の旅に出たふたりが、発想を同じところから展開させた点に注目したい。 |
[飛ぶことを忘れた私たち] |
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