星野画廊で開催した主な展覧会─86

京都洋画の先達・ 伊藤快彦遺作展
忘れられた画家シリーズ-34


と き  2012(平成24)年9月4日B〜10月6日F
ところ  星 野 画 廊        
10:30AM〜6:00PM(月曜休廊)
京都市東山区神宮道三条上る TEL.075-771-3670


京都洋画の先達・ 伊藤快彦遺作展
忘れられた画家シリーズ-34
記念図録:B5判 68頁 1500円

 目 次
伊藤快彦―京都の近代化とともに/星野万美子
3〜8
作品図版 9〜48
解説/星野桂三 15〜47
伊藤快彦年譜 49〜51
浅井忠と聖護院洋画研究所の人々 (参考図版) .52
浅井忠の一周忌に集う関西美術院の画家たち(参考図版) 53
「日本赤十字社京都支部総会出席者群像」について/星野桂三 54
参考図版 55〜56
出品作品参考図版 57〜60
その他の参考図版― @ 61
伊藤快彦と「丹後大震災実況模写油絵」について/星野桂三 62
丹後大震災と丹後震災記念館について/星野桂三 63
その他の参考図版−A 64
後記/星野桂三 65〜67

伊藤快彦―京都の近代化とともに ・・・・・ 星野万美子

後  記   ・・・・・・・・・・・   星野桂三

 1875(明治8)年に開催された京都博覧会に、高橋由一の油彩<鮭>が出品された。その迫真的な表現に魅了された若王寺神社神官の子、伊藤快彦は当時まだ8歳だった。9年後、画家を志して京都洋画の開祖、田村宗立の門を叩く。88(明治21)年21歳の時に上京し小山正太郎の門に入り、ついでドイツから帰国したばかりの原田直次郎に師事してめきめきと腕を上げた。
 1990(明治23)年に新島襄が47歳で死去し、自分が生まれ育った若王子山内に葬られたという話に感動し、翌年末に名作<新島襄像>(現同志社蔵)を描いた。その後京都に戻り画塾「鐘美会」を開く。梅原龍三郎や加藤源之助らもこの画塾の出身者である。1901(明治34)年に田村宗立や浅井忠らと共に関西美術会を結成。1906(明治39)年には関西美術院を設立した。内国勧業博覧会や文展,関西美術会展などで作品を発表し、1916(大正5)年から1936(昭和11)年まで関西美術院の院長を務めた。1942(昭和17)年に74歳で没した。
 京都洋画の黎明期に伊藤快彦が果たした役割は多大なものであり大いに顕彰すべきはずが、出品作の多くが散逸し、これまで美術館での回顧展の開催もなく注目されることがなかった。今回「近代洋画の開拓者・高橋由一」展が京都国立近代美術館で開催(9/7〜10/21)される機会に、当画廊が長い間に亘って収集してきた作品36点により遺作展を開催することにした。高橋由一展と併せてご観覧下さいますようご案内いたします。

「花筺(はながたみ)」明治末期頃  25.1×88.0 cm 板に油彩(扁額)

「男山八幡宮」1938(明治31)年 第5回新古美術品展覧会(宮内省買上)
54.3×42.3 cm キャンバスに油彩

「西郷隆盛象」(部分)明治後期頃
111.3×41.1 cm  絹本彩色/軸装

「道成寺」 1903(明治36)年頃
91.0×68.0 cm 板に油彩(衝立て)

 


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