「生誕130年記念・秦 テルヲの生涯」展
2017年6月3日(土)〜7月8日(土)

展覧会趣旨


展示の模様

―異端といわれ、無頼と呼ばれた孤独の画家 その求道の軌跡を辿る星野画廊渾身の企画展―

1887(明治20)年広島市に生まれた秦テルヲ(本名輝男)は、8歳にして父親を亡くし、母や弟妹たちと移住した京都で苦学して京都市立美術工芸学校を卒業。千總の輸出用ビロード工場に勤める傍ら、洛中洛外や神戸の貧民窟や労働者を写生し丙午会に出品。1910(明治43)年「黒猫会」の結成に参加するが意見が衝突、以後個展中心に独自の歩みを始める。

野長瀬晩夏や竹久夢二らと交遊し、カブキ者姿で大阪、神戸、東京と漂泊し淪落の女たちを描くことで人間存在の真実を求めた。

1920(大正9)年に我が子を得て心機一転、翌年12月に東京を引き払い京都府相楽郡の瓶原(みかのはら)の山村に移住。農耕生活をしながら仏教美術を研究。母子像や瓶原の風景を描き、やがて独自のスタイルによる仏画を描くようになる。1929(昭和4)年夏、京都北白川に転居。美術関係者や文学者の後押しに支えられ、個性溢れる独自の絵画世界を京都、大阪、神戸で個展発表。しかし健康すぐれずに闘病生活を送る。終戦間近には病床で戦中絵日記や鬼気迫る自画像の数々を描いた。1945(昭和20)年12月に58歳で死去。

生涯群れることなく独自の美意識を追究したテルヲの生涯を顕彰することは、混沌に生きる現代人にとっての指標となるだろう。

展示作品(一部抜粋)

「慈悲心鳥の唄」 1923(大正12)頃
「闘病五年紀念自像」
1945(昭和20)年7月
「阿弥陀三尊仏」
1941(昭和16)年頃

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画家たちが遺した美の遺産 その4
『生誕130年 奏テルヲの生涯』

 
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